は確かである。

     十八 あそび

 これはサンデイ毎日所載、福田雅之助《ふくだまさのすけ》君の「最近の米国庭球界」の一節である。
「テイルデンは指を切つてから、却《かへ》つて素晴《すばら》らしい当りを見せる様になつた。なぜ指を切つてからの方が、以前よりうまくなつたかと云ふに、一つは彼の気が緊張してゐるからだ。彼は非常に芝居気があつて、勝てるマツチにもたやすく勝たうとはせず、或程度まで相手をあしらつて行《ゆ》くらしかつたが、今年度は「指」と云ふハンデイキヤツプの為に、ゲエムの始めから緊張してかかるから、尚更《なほさら》強いのである……」
 ラケツトを握る指を切断した後《のち》、一層《いつそう》腕を上げたテイルデンはまことに偉大なる選手である。が、指の満足だつた彼も、――同時に又相手を翻弄《ほんろう》する「あそび」の精神に富んでゐた彼も必《かならず》しも偉大でないことはない。いや、僕はテイルデン自身も時時はちよつと心の底に、「あそび」の精神に富んでゐた昔をなつかしがつてゐはしないかと思つてゐる。

     十九 塵労

 僕も大抵《たいてい》の売文業者のやうに※[#「勹<夕」、
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