勧《すす》める言葉である。僕も告白をせぬ訣《わけ》ではない。僕の小説は多少にもせよ、僕の体験の告白である。けれども諸君は承知しない。諸君の僕に勧めるのは僕自身を主人公にし、僕の身の上に起つた事件を臆面《おくめん》もなしに書けと云ふのである。おまけに巻末の一覧表には主人公たる僕は勿論、作中の人物の本名《ほんめい》仮名《かめい》をずらりと並べろと云ふのである。それだけは御免《ごめん》を蒙《かうむ》らざるを得ない。――
 第一に僕はもの見高い諸君に僕の暮しの奥底をお目にかけるのは不快である。第二にさう云ふ告白を種に必要以上の金と名とを着服するのも不快である。たとへば僕も一茶《いつさ》のやうに交合記録を書いたとする。それを又中央公論か何かの新年号に載せたとする。読者は皆面白がる。批評家は一転機を来したなどと褒《ほ》める。友だちは、愈《いよいよ》裸になつたなどと、――考へただけでも鳥肌《とりはだ》になる。
 ストリンドベルクも金さへあれば、「痴人《ちじん》の告白《こくはく》」は出さなかつたのである。又出さなければならなかつた時にも、自国語の本にする気はなかつたのである。僕も愈《いよいよ》食はれぬ
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