る。鬼界《きかい》が島《しま》に流された俊寛は如何《いか》に生活し、又如何に死を迎へたか?――これが両氏の問題である。この問題は殊に菊池氏の場合、かう云ふ形式にも換へられるであらう。――「我等は俊寛と同じやうに、島流しの境遇に陥つた時、どう云ふ生活を営むであらうか?」
 近松と両氏との立ち場の相違は、盛衰記の記事の改めぶりにも、窺《うかが》はれると云ふ事を妨《さまた》げない。近松はあの俊寛を作る為に、俊寛の悲劇の関鍵《くわんけん》たる赦免状の件《くだり》さへも変更した。両氏も勿論近松に劣らず、盛衰記の記事を無視してゐる。しかし両氏とも近松のやうに、赦免状の件《くだり》は改めてゐない。与へられた条件の内に、俊寛の解釈を試みる以上、これだけは保存せねばならぬからである。
 丁度《ちやうど》その場合と同じやうに、倉田氏と菊池氏との立ち場の相違も、やはり盛衰記の記事を変更した、その変更のし方に見えるかも知れぬ。倉田氏が俊寛の娘を死んだ事にしたり、菊池氏が島を豊沃《ほうよく》の地にしたり、――それらは皆両氏の俊寛、――「苦しめる俊寛」と「苦しまざる俊寛」とを描出するに便だつた為であらう。僕の俊寛
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