俊寛が乗るは弘誓《ぐぜい》の船、浮き世の船には望みなし。」
 僕は以前|久米正雄《くめまさを》と、この俊寛《しゆんくわん》の芝居を見た。俊寛は故人|段四郎《だんしらう》、千鳥《ちどり》は歌右衛門《うたゑもん》、基康《もとやす》は羽左衛門《うざゑもん》、――他は記憶に残つてゐない。俊寛が乗るは云云《うんぬん》の文句は、当時大いに久米正雄を感心させたものである。
 近松《ちかまつ》の俊寛は源平盛衰記《げんぺいせいすゐき》の俊寛よりも、遙かに偉い人になつてゐる。勿論|舟出《ふなで》を見送る時には、嘆き悲しむのに相違ない。しかしその後《ご》は近松の俊寛も、安らかに余生を送つたかも知れぬ。少くとも盛衰記の俊寛程、悲しい末期《まつご》には遇《あ》はなかつたであらう。――さう云ふ心もちを与へる限り、「苦しまざる俊寛」を書いたものは、夙《つと》に近松にあつたと云ふべきである。
 しかし近松の目ざしたのは、「苦しまざる俊寛」にのみあつたのではない。彼の俊寛は「平家《へいけ》女護《によご》が島《しま》」の登場人物の一人《ひとり》である。が、倉田《くらた》、菊池《きくち》両氏の俊寛は、俊寛のみを主題としてゐ
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