》へ渡る途中、筑後丸《ちくごまる》の船長と話をした。政友会《せいいうくわい》の横暴とか、ロイド・ジヨオジの「正義」とかそんなことばかり話したのである。その内に船長は僕の名刺を見ながら、感心したやうに小首を傾けた。
「アクタ川と云ふのは珍らしいですね。ははあ、大阪毎日新聞社、――やはり御専門は政治経済ですか?」
 僕は好《い》い加減に返事をした。
 僕等は又|少時《しばらく》の後《のち》、ボルシエヴイズムか何かの話をし出した。僕は丁度《ちやうど》その月の中央公論に載つてゐた誰かの論文を引用した。が、生憎《あいにく》船長は中央公論の読者ではなかつた。
「どうも中央公論も好《い》いですが、――」
 船長は苦《にが》にがしさうに話しつづけた。
「小説を余り載せるものですから、つい買ひ渋《しぶ》つてしまふのです。あれだけはやめる訣《わけ》に行《い》かないものでせうか?」
 僕は出来るだけ情けない顔をした。
「さうです。小説には困りますね。あれさへなければと思ふのですが。」
 爾来《じらい》僕は船長に格別の信用を博したやうである。

     二十二 相撲

「負けまじき相撲《すまふ》を寝ものがたりかな」とは名高い蕪村《ぶそん》の相撲の句である。この「負けまじき」の解釈には思ひの外《ほか》異説もあるらしい。「蕪村句集講義」によれば虚子《きよし》、碧梧桐《へきごどう》両氏、近頃は又|木村架空《きむらかくう》氏も「負けまじき」を未来の意味としてゐる。「明日《あす》の相撲は負けてはならぬ。その負けてはならぬ相撲を寝ものがたりに話してゐる。」――と云ふやうに解釈するのである。僕はずつと以前から過去の意味にばかり解釈してゐた。今もやはり過去の意味に解釈してゐる。「今日《けふ》は負けてはならぬ相撲を負けた。それをしみじみ寝ものがたりにしてゐる。」――と云ふやうに解釈するものである。もし将来の意味だつたとすれば、蕪村は必ず「負けまじき」と調子を張つた上五《かみご》の下へ「寝ものがたりかな」と調子の延びた止《と》めを持つて来はしなかつたであらう。これは文法の問題ではない。唯「負けまじき」をどう感ずるかと云ふ芸術的|触角《しよくかく》の問題である。尤《もつと》も「蕪村句集講義」の中でも、子規居士《しきこじ》と内藤鳴雪《ないとうめいせつ》氏とはやはり過去の意味に解釈してゐる。

     二十三 
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