標文字なのかも知れない。或は又平仮名に慣《な》れてゐる僕も片仮名には感じが鈍《にぶ》いのかも知れない。

     十四 希臘末期の人

 この頃エジプトの砂の中から、ヘラクレニウムの熔岩の中から、希臘《ギリシヤ》人の書いたものが発見される。時代は 350 B.C. から 150 B.C. 位のものらしい。つまりアテネ時代からロオマ時代へ移らうとする中間の時代のものである。種類は論文、詩、喜劇、演説の草稿、手紙――まだ外《ほか》にもあるかも知れない。作者は従来書いたものの少しは知られてゐた人もある。名前だけやつと伝つてゐた人もある。勿論《もちろん》全然名前さへ伝はつてゐなかつた人もある。
 しかしそれは兎《と》も角《かく》も、さういふ断簡零墨《だんかんれいぼく》を近代語に訳したものを見ると、どれもこれも我我にはお馴染《なじ》みの思想ばかりである。たとへば Polystratus と云ふエピクロス派の哲学者は「あらゆる虚偽と心労とを脱し、人生を自由ならしむる為には万物生成の大法を知らなければならぬ」と論じてゐる。さうかと思へば Cercidas と云ふ所謂《いはゆる》犬儒派《けんじゆは》の哲学者は「蕩児《たうじ》と守銭奴《しゆせんど》とは黄白《くわうはく》に富み、予ばかり貧乏するのは不都合《ふつがふ》である! ……正義は土豚《どとん》のやうに盲目なのか? Themis(正義の女神)の明《めい》は蔽《おほ》はれてゐるのか?」と大いに憤慨を洩《も》らした後、「遮莫《さもあらばあれ》我徒は病弱を救ひ、貧窶《ひんる》を恵むことを任にしたい」と勇ましい信念を披露《ひろう》してゐる。更に又彼に先立つこと三十年余と伝へられる Colophon の 〔Phoe&nix〕 は「何びとも金持ちには友だちである。金さへあれば神神さへ必ず君を愛するであらう。が、万一貧しければ母親すら君を憎むであらう」と諷刺《ふうし》に満ちた詩を作つてゐる。最後に 〔OE&noande〕 の Diogenes は「予の所見に従へば、人類は百般の無用の事に百般の苦楚《くそ》を味《あぢは》つてゐる。……予は既《すで》に老人である。生命の太陽も沈まうとしてゐる。予は唯予の道を教へるだけである。……天下の人は悉《ことごと》く互に虚偽を移し合つてゐる。丁度《ちやうど》一群《いちぐん》の病羊《びやうやう》のやうに」と救援
前へ 次へ
全21ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング