「無理をしちやあいけない。御飯の支度なんぞはお鶴にも出来る。」
 父は半ば叱るやうに、母の言葉を遮《さへぎ》りました。
「英吉! 本間さんを呼んで来い!」
 兄はもうさう云はれた時には、一散に大風の見世の外へ飛び出して居つたのでございます。
 本間さんと申す漢方医、――兄は始終藪医者などと莫迦《ばか》にした人でございますが、その医者も母を見た時には、当惑さうに、腕組みをしました。聞けば母の腫物は面疔《めんちやう》だと申すのでございますから。……もとより面疔も手術さへ出来れば、恐しい病気ではございますまい。が、当時の悲しさには手術どころの騒ぎではございません。唯|煎薬《せんやく》を飲ませたり、蛭《ひる》に血を吸はせたり、――そんなことをするだけでございます。父は毎日枕もとに、本間さんの薬を煎じました。兄も毎日十五銭づつ、蛭を買ひに出かけました。わたしも、……わたしは兄に知れないやうに、つい近所のお稲荷《いなり》様へお百度を踏みに通ひました。――さう云ふ始末でございますから、雛のことも申しては居られません。いえ、一時わたしを始め、誰もあの壁側《かべぎは》に積んだ三十ばかりの総桐の箱には眼もやらなかつたのでございます。
 ところが十一月の二十九日、――愈《いよいよ》雛と別れると申す一日前のことでございます。わたしは雛と一しよにゐるのも、今日が最後だと考へると、殆ど矢も楯《たて》もたまらない位、もう一度箱が明けたくなりました。が、どんなにせがんだにしろ、父は不承知に違ひありません。すると母に話して貰ふ、――わたしは直《すぐ》にさう思ひましたが、何しろその後母の病気は前よりも一層|重《おも》つて居ります。食べ物もおも湯を啜《すす》る外は一切|喉《のど》を通りません。殊にこの頃は口中へも、絶えず血の色を交へた膿《うみ》がたまるやうになつたのでございます。かう云ふ母の姿を見ると、如何《いか》に十五の小娘にもせよ、わざわざ雛を飾りたいなぞとは口へ出す勇気も起りません。わたしは朝から枕もとに、母の機嫌を伺ひ伺ひ、とうとうお八つになる頃迄は何も云ひ出さずにしまひました。
 しかしわたしの眼の前には金網を張つた窓の下に、例の総桐の雛の箱が積み上げてあるのでございます。さうしてその雛の箱は今夜一晩過ごしたが最後、遠い、横浜の異人屋敷へ、……ことによれば亜米利加《アメリカ》へも行つてしまふのでございます。そんなことを考へると、愈《いよいよ》我慢は出来ますまい。わたしは母の眠つたのを幸ひ、そつと見世へ出かけました。見世は日当りこそ悪いものの、土蔵の中に比べれば、往来の人通りが見えるだけでも、まだしも陽気でございます。其処に父は帳合ひを検《しら》べ、兄はせつせつと片隅の薬研《やげん》に甘草《かんざう》か何かを下《おろ》して居りました。
「ねえ、お父さん。後生《ごしやう》一生のお願ひだから、……」
 わたしは父の顔を覗《のぞ》きこみながら、何時《いつ》もの頼みを持ちかけました。が、父は承知するどころか、相手になる景色《けしき》もございません。
「そんなことはこの間も云つたぢやあないか?……おい、英吉! お前は今日は明るい内に、ちよいと丸佐へ行つて来てくれ。」
「丸佐へ?……来てくれと云ふんですか?」
「何、ランプを一つ持つて来て貰ふんだが、……お前、帰りに貰つて来ても好《い》い。」
「だつて丸佐にランプはないでせう?」
 父はわたしをそつちのけに、珍しい笑ひ顔を見せました。
「燭台か何かぢやああるまいし、……ランプは買つてくれつて頼んであるんだ。わたしが買ふよりやあ確だから。」
「ぢやあもう無尽燈はお廃止ですか?」
「あれももうお暇の出し時だらう。」
「古いものはどしどし止《や》めることです。第一お母さんもランプになりやあ、ちつとは気も晴れるでせうから。」
 父はそれぎり元のやうに、又|算盤《そろばん》を弾《はじ》き出しました。が、わたしの念願は相手にされなければされないだけ、強くなるばかりでございます。わたしはもう一度後ろから父の肩を揺すぶりました。
「よう、お父さんつてば。よう。」
「うるさい!」
 父は後ろを振り向きもせずに、いきなりわたしを叱りつけました。のみならず兄も意地悪さうに、わたしの顔を睨《にら》めて居ります。わたしはすつかり悄気返《しよげかへ》つた儘、そつと又奥へ帰つて来ました。すると母は何時《いつ》の間にか、熱のある眼を挙げながら、顔の上にかざした手の平を眺めてゐるのでございます。それがわたしの姿を見ると、思ひの外《ほか》はつきりかう申しました。
「お前、何をお父さんに叱られたのだえ?」
 わたしは返事に困りましたから、枕もとの羽根楊枝《はねやうじ》をいぢつて居りました。
「又何か無理を云つたのだらう?……」
 母はぢつとわたしを見たなり、今度は苦しさうに言葉を継ぎました。
「わたしはこの通りの体だしね、何も彼《か》もお父さんがなさるのだから、おとなしくしなけりやあいけませんよ。そりやあお隣の娘さんは芝居へも始終お出でなさるさ。……」
「芝居なんぞ見たくはないんだけれど……」
「いえ、芝居に限らずさ、簪《かんざし》だとか半襟《はんえり》だとか、お前にやあ欲しいものだらけでもね、……」
 わたしはそれを聞いてゐる中に、悔やしいのだか悲しいのだか、とうとう涙をこぼしてしまひました。
「あのねえ、お母さん。……わたしはねえ、……何も欲しいものはないんだけれどねえ、唯あのお雛様を売る前にねえ、……」
「お雛様かえ? お雛様を売る前に?」
 母は一層大きい眼にわたしの顔を見つめました。
「お雛様を売る前にねえ、……」
 わたしはちよいと云ひ渋りました。その途端にふと気がついて見ると、何時の間にか後ろに立つてゐるのは兄の英吉でございます。兄はわたしを見下しながら、不相変《あひかはらず》慳貪《けんどん》にかう申しました。
「わからず屋! 又お雛様のことだらう? お父さんに叱られたのを忘れたのか?」
「まあ、好《い》いぢやあないか? そんなにがみがみ云はないでも。」
 母はうるささうに眼を閉ぢました。が、兄はそれも聞えぬやうに叱り続けるのでございます。
「十五にもなつてゐる癖に、ちつとは理窟もわかりさうなもんだ? 高があんなお雛様位! 惜しがりなんぞするやつがあるもんか?」
「お世話焼きぢや! 兄さんのお雛様ぢやあないぢやあないか?」
 わたしも負けずに云ひ返しました。その先は何時も同じでございます。二言三言云ひ合ふ中に、兄はわたしの襟上《えりがみ》を掴《つか》むと、いきなり其処へ引き倒しました。
「お転婆!」
 兄は母さへ止めなければ、この時もきつと二つ三つは折檻《せつかん》して居つたでございませう。が、母は枕の上に半ば頭を擡《もた》げながら、喘《あへ》ぎ喘ぎ兄を叱りました。
「お鶴が何をしやあしまいし、そんな目に遇はせるにやあ当らないぢやあないか。」
「だつてこいつはいくら云つても、あんまり聞き分けがないんですもの。」
「いいえ、お鶴ばかり憎いのぢやあないだらう? お前は……お前は、……」
 母は涙をためた儘、悔やしさうに何度も口ごもりました。
「お前はわたしが憎いのだらう? さもなけりやあわたしが病気だと云ふのに、お雛様を……お雛様を売りたがつたり、罪もないお鶴をいぢめたり、……そんなことをする筈はないぢやあないか? さうだらう? それならなぜ憎いのだか、……」
「お母さん!」
 兄は突然かう叫ぶと、母の枕もとに突立つたなり、肘《ひぢ》に顔を隠しました。その後父母の死んだ時にも、涙一つ落さなかつた兄、――永年政治に奔走してから、癲狂院《てんきやうゐん》へ送られる迄、一度も弱みを見せなかつた兄、――さう云ふ兄がこの時だけは啜《すす》り泣きを始めたのでございます。これは興奮し切つた母にも、意外だつたのでございませう。母は長い溜息をしたぎり、申しかけた言葉も申さずに、もう一度枕をしてしまひました。……
 かう云ふ騒きがあつてから、一時間程後でございませう。久しぶりに見世へ顔を出したのは肴屋《さかなや》の徳蔵でございます。いえ、肴屋ではございません。以前は肴屋でございましたが、今は人力車の車夫になつた、出入りの若いものでございます。この徳蔵には可笑《をか》しい話が幾つあつたかわかりません。その中でも未《いまだ》に思ひ出すのは苗字《めうじ》の話でございます。徳蔵もやはり御一新以後、苗字をつけることになりましたが、どうせつける位ならばと大束《おほたば》をきめたのでございませう、徳川と申すのをつけることにしました。ところがお役所へ届けに出ると、叱られたの叱られないのではございません。何でも徳蔵の申しますには、今にも斬罪にされ兼ねない権幕だつたさうでございます。その徳蔵が気楽さうに、牡丹《ぼたん》に唐獅子《からじし》の画を描《か》いた当時の人力車を引張りながら、ぶらりと見世先へやつて来ました。それが又何しに来たのかと思ふと、今日は客のないのを幸ひ、お嬢さんを人力車にお乗せ申して、会津つ原から煉瓦通りへでもお伴をさせて頂きたい、――かう申すのでございます。
「どうする? お鶴。」
 父はわざと真面目さうに、人力車を見に見世へ出てゐたわたしの顔を眺めました。今日では人力車に乗ることなどはさ程子供も喜びますまい。しかし当時のわたしたちには丁度自働車に乗せて貰ふ位、嬉しいことだつたのでございます。が、母の病気と申し、殊にああ云ふ大騒ぎのあつた直《すぐ》あとのことでございますから、一概に行きたいとも申されません。わたしはまだ悄気切《しよげき》つたなり、「行きたい」と小声に答へました。
「ぢやあお母さんに聞いて来い。折角徳蔵もさう云ふものだし。」
 母はわたしの考へ通り、眼も明かずにほほ笑みながら、「上等だね」と申しました。意地の悪い兄は好《い》い塩梅《あんばい》に、丸佐へ出かけた留守でございます。わたしは泣いたのも忘れたやうに、早速人力車に飛び乗りました。赤毛布《あかゲツト》を膝掛けにした、輪のがらがらと鳴る人力車に。
 その時見て歩いた景色などは申し上げる必要もございますまい。唯今でも話に出るのは徳蔵の不平でございます。徳蔵はわたしを乗せた儘、煉瓦の大通りにさしかかるが早いか、西洋の婦人を乗せた馬車とまともに衝突しかかりました。それはやつと助かりましたが、忌々《いまいま》しさうに舌打ちをすると、こんなことを申すのでございます。
「どうもいけねえ。お嬢さんはあんまり軽過ぎるから、肝腎《かんじん》の足が踏ん止らねえ。……お嬢さん。乗せる車屋が可哀さうだから、二十《はたち》前にやあ車へお乗んなさんなよ。」
 人力車は煉瓦の大通りから、家の方へ横町を曲りました。すると忽《たちま》ち出遇つたのは兄の英吉でございます。兄は煤竹《すすだけ》の柄《え》のついた置きランプを一台さげた儘、急ぎ足に其処《そこ》を歩いて居りました。それがわたしの姿を見ると「待て」と申す相図でございませう、ランプをさし挙げるのでございます。が、もうその前に徳蔵はぐるりと梶棒をまはしながら、兄の方へ車を寄せて居りました。
「御苦労だね。徳さん。何処《どこ》へ行つたんだい?」
「へえ、何、今日はお嬢さんの江戸見物です。」
 兄は苦笑を洩らしながら、人力車の側へ歩み寄りました。
「お鶴。お前、先へこのランプを持つて行つてくれ。わたしは油屋へ寄つて行くから。」
 わたしはさつきの喧嘩の手前、わざと何とも返事をせずに、唯ランプだけ受け取りました。兄はそれなり歩きかけましたが、急に又こちらへ向き変へると、人力車の泥除《どろよ》けに手をかけながら、「お鶴」と申すのでございます。
「お鶴、お前、又お父さんにお雛様のことなんぞ云ふんぢやあないぞ。」
 わたしはそれでも黙つて居りました。あんなにわたしをいぢめた癖に、又かと思つたのでございます。しかし兄は頓着せずに、小声の言葉を続けました。
「お父さんが見ちやあいけないと云ふのは手附けをとつたばかりぢやあないぞ。見りやあみんなに未練が出る、――其処も考へてゐるんだぞ
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