。」
父も母をかへり見ながら、満足さうに申しました。
「眩《まぶ》し過ぎる位ですね。」
かう申した母の顔には、殆ど不安に近い色が浮んでゐたものでございます。
「そりやあ無尽燈に慣れてゐたから……だが一度ランプをつけちやあ、もう無尽燈はつけられない。」
「何でも始《はじめ》は眩し過ぎるんですよ。ランプでも、西洋の学問でも、……」
兄は誰よりもはしやいで居りました。
「それでも慣れりやあ同じことですよ。今にきつとこのランプも暗いと云ふ時が来るんです。」
「大きにそんなものかも知れない。……お鶴。お前、お母さんのおも湯はどうしたんだ?」
「お母さんは今夜は沢山なんですつて。」
わたしは母の云つた通り、何の気もなしに返事をしました。
「困つたな。ちつとも食気《しよくけ》がないのかい?」
母は父に尋ねられると、仕方がなささうに溜息をしました。
「ええ、何だかこの石油の匂が、……旧弊人《きうへいじん》の証拠ですね。」
それぎりわたしたちは言葉少なに、箸ばかり動かし続けました。しかし母は思ひ出したやうに、時々ランプの明るいことを褒めてゐたやうでございます。あの腫《は》れ上つた唇の上にも微
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