あの砂だらけの床板に額をつけて、「ありがとう」と言われた時には、思わず、ほろりとさせられてしまった。
慰問会がおわるとすぐに、事務室で通信部を開始する。手紙を書けない人々のために書いてあげる設備である。原君と小野君と僕とが同じ机で書く。あの事務室の廊下に面した、ガラス障子《しょうじ》をはずして、中へ図書室の細長い机と、講堂にあるベンチとを持ちこんで、それに三人で尻《しり》をすえたのである。外の壁へは、高田先生に書いていただいた、「ただで、手紙を書いてあげます」という貼紙《はりがみ》をしたので、直ちに多くの人々がこの窓の外に群がった。いよいよはがきに鉛筆を走らせるまでには、どうにか文句ができるだろうくらいな、おうちゃくな根性ですましていたが、こうなってみると、いくら「候間」や「候段」や「乍憚《はばかりながら》御休神下され度」でこじつけていっても、どうにもこうにも、いかなくなってきた。二、三人目に僕の所へ来たおじいさんだったが、聞いてみると、なんでも小松川のなんとか病院の会計の叔父《おじ》の妹の娘が、そのおじいさんの姉の倅《せがれ》の嫁の里の分家の次男にかたづいていて、小松川の水が出た
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