しやま》の桜も散り出したことなどを思い出していた。
二
広子《ひろこ》は東京へ帰った後《のち》、何かと用ばかり多かったために二三日の間は妹とも話をする機会を捉《とら》えなかった。それをやっと捉えたのは母かたの祖父の金婚式から帰って来た夜《よる》の十時ごろだった。妹の居間《いま》には例の通り壁と云う壁に油画《あぶらえ》がかかり、畳に据《す》えた円卓《えんたく》の上にも黄色い笠をかけた電燈が二年前の光りを放っていた。広子は寝間着《ねまき》に着換えた上へ、羽織だけ紋《もん》のあるのをひっかけたまま、円卓の前の安楽椅子《あんらくいす》へ坐った。
「ただ今お茶をさし上げます。」
辰子《たつこ》は姉の向うに坐ると、わざと真面目《まじめ》にこんなことを言った。
「いえ、もうどうぞ。――ほんとうにお茶なんぞ入《い》らないことよ。」
「じゃ紅茶でも入れましょうか?」
「紅茶も沢山。――それよりもあの話を聞かせて頂戴《ちょうだい》。」
広子は妹の顔を見ながら、出来るだけ気軽にこう言った。と言うのは彼女の感情を、――かなり複雑な陰影を帯びた好奇心だの非難だのあるいはまた同情だのを見
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