実を発見した。しかし彼女の顔色は何も気づかぬように冴《さ》え冴《ざ》えしていた。
「今日《きょう》は勝手なことをお願い申しまして、さぞ御迷惑でございましょう。そんな失礼なことをとは思ったんでございますが、何《なん》でもと妹が申すもんでございますから。……」
 広子はこう話しかけたまま、静かにあたりを眺めまわした。リノリウムの床《ゆか》には何脚《なんきゃく》かのベンチも背中合せに並んでいた。けれどもそこに腰をかけるのは却《かえ》って人目《ひとめ》に立ち兼ねなかった。人目は?――彼等の前後には観覧人《かんらんにん》が三四人、今も普賢《ふげん》や文珠《もんじゅ》の前にそっと立ち止まったり歩いたりしていた。
「いろいろ伺いたいこともあるんでございますけれども、――じゃぶらぶら歩きながら、お話しすることに致しましょうか?」
「ええ、どうでも。」
 広子はしばらく無言のまま、ゆっくり草履《ぞうり》を運んで行った。この沈黙は確かに篤介には精神的|拷問《ごうもん》に等《ひと》しいらしかった。彼は何か言おうとするようにちょっと一度|咳払《せきばら》いをした。が、咳払いは天井の硝子《ガラス》にたちまち大き
前へ 次へ
全24ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング