実を発見した。しかし彼女の顔色は何も気づかぬように冴《さ》え冴《ざ》えしていた。
「今日《きょう》は勝手なことをお願い申しまして、さぞ御迷惑でございましょう。そんな失礼なことをとは思ったんでございますが、何《なん》でもと妹が申すもんでございますから。……」
 広子はこう話しかけたまま、静かにあたりを眺めまわした。リノリウムの床《ゆか》には何脚《なんきゃく》かのベンチも背中合せに並んでいた。けれどもそこに腰をかけるのは却《かえ》って人目《ひとめ》に立ち兼ねなかった。人目は?――彼等の前後には観覧人《かんらんにん》が三四人、今も普賢《ふげん》や文珠《もんじゅ》の前にそっと立ち止まったり歩いたりしていた。
「いろいろ伺いたいこともあるんでございますけれども、――じゃぶらぶら歩きながら、お話しすることに致しましょうか?」
「ええ、どうでも。」
 広子はしばらく無言のまま、ゆっくり草履《ぞうり》を運んで行った。この沈黙は確かに篤介には精神的|拷問《ごうもん》に等《ひと》しいらしかった。彼は何か言おうとするようにちょっと一度|咳払《せきばら》いをした。が、咳払いは天井の硝子《ガラス》にたちまち大きい反響を生じた。彼はその反響に恐れたのか、やはり何も言わずに歩きつづけた。広子はこう言う彼の苦痛に多少の憐憫《れんびん》を感じていた。けれどもまた何《なん》の矛盾《むじゅん》もなしに多少の享楽をも感じていた。もっとも守衛《しゅえい》や観覧人に時々|一瞥《いちべつ》を与えられるのは勿論彼女にも不快だった。しかし彼等も年齢の上から、――と言うよりもさらに服装の上から決して二人の関係を誤解しないには違いなかった。彼女はその気安さの上から不安らしい篤介を見下《みおろ》していた。彼はあるいは彼女には敵であるかも知れなかった。が、敵であるにもしろ、世慣《よな》れぬ妹と五十歩百歩の敵であることは確かだった。……
「伺いたいと申しますのは大したことではないんでございますけれどもね、――」
 彼女は第二室を出ようとした時、ことさら彼へ目をやらずにやっと本文《ほんもん》へはいり出した。
「あれにも母親が一人《ひとり》ございますし、あなたもまた、――あなたは御両親ともおありなんでございますか?」
「いいえ、親父《おやじ》だけです。」
「お父様《とうさま》だけ。御兄弟は確かございませんでしたね?」
「ええ、僕
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