衝《つ》いて溢《あふ》れて来た。もっともおれの使ったのは、京童《きょうわらべ》の云う悪口《あっこう》ではない。八万法蔵《はちまんほうぞう》十二部経中《じゅうにぶきょうちゅう》の悪鬼羅刹《あっきらせつ》の名前ばかり、矢つぎ早に浴びせたのじゃ。が、船は見る見る遠ざかってしまう。あの女はやはり泣き伏したままじゃ。おれは浜べにじだんだを踏《ふ》みながら、返せ返せと手招ぎをした。」
御主人の御腹立ちにも関《かかわ》らず、わたしは御話を伺っている内に、自然とほほ笑《え》んでしまいました。すると御主人も御笑いになりながら、
「その手招ぎが伝わっているのじゃ。嗔恚の祟《たた》りはそこにもある。あの時おれが怒《おこ》りさえせねば、俊寛は都へ帰りたさに、狂いまわったなぞと云う事も、口《くち》の端《は》へ上《のぼ》らずにすんだかも知れぬ。」と、仕方がなさそうにおっしゃるのです。
「しかしその後《のち》は格別《かくべつ》に、御歎きなさる事はなかったのですか?」
「歎《なげ》いても仕方はないではないか? その上《うえ》時のたつ内には、寂しさも次第に消えて行った。おれは今では己身《こしん》の中《うち》に、本仏《ほんぶつ》を見るより望みはない。自土即浄土《じどそくじょうど》と観じさえすれば、大歓喜《だいかんぎ》の笑い声も、火山から炎《ほのお》の迸《ほどばし》るように、自然と湧《わ》いて来なければならぬ。おれはどこまでも自力《じりき》の信者じゃ。――おお、まだ一つ忘れていた。あの女は泣き伏したぎり、いつまでたっても動こうとせぬ。その内に土人も散じてしまう。船は青空に紛《まぎ》れるばかりじゃ。おれは余りのいじらしさに、慰めてやりたいと思うたから、そっと後手《うしろで》に抱《だ》き起そうとした。するとあの女はどうしたと思う? いきなりおれをはり倒したのじゃ。おれは目が眩《く》らみながら、仰向《あおむ》けにそこへ倒れてしもうた。おれの肉身に宿らせ給う、諸仏《しょぶつ》諸菩薩《しょぼさつ》諸明王《しょみょうおう》も、あれには驚かれたに相違ない。しかしやっと起き上って見ると、あの女はもう村の方へ、すごすご歩いて行く所じゃった。何、おれをはり倒した訳か? それはあの女に聞いたが好《よ》い。が、事によると人気《ひとけ》はなし、凌《りょう》ぜられるとでも思ったかも知れぬ。」
五
わたしは御主人とその翌日、この島の火山へ登りました。それから一月ほど御側《おそば》にいた後《のち》、御名残り惜しい思いをしながら、もう一度都へ帰って来ました。「見せばやなわれを思わむ友もがな磯《いそ》のとまやの柴《しば》の庵《いおり》を」――これが御形見《おかたみ》に頂いた歌です。俊寛《しゅんかん》様はやはり今でも、あの離れ島の笹葺《ささぶ》きの家に、相不変《あいかわらず》御一人悠々と、御暮らしになっている事でしょう。事によると今夜あたりは、琉球芋《りゅうきゅういも》を召し上りながら、御仏《みほとけ》の事や天下の事を御考えになっているかも知れません。そう云う御話はこのほかにも、まだいろいろ伺ってあるのですが、それはまたいつか申し上げましょう。
[#地から1字上げ](大正十年十二月)
底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
1993(平成5)年12月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月19日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全5ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング