衝《つ》いて溢《あふ》れて来た。もっともおれの使ったのは、京童《きょうわらべ》の云う悪口《あっこう》ではない。八万法蔵《はちまんほうぞう》十二部経中《じゅうにぶきょうちゅう》の悪鬼羅刹《あっきらせつ》の名前ばかり、矢つぎ早に浴びせたのじゃ。が、船は見る見る遠ざかってしまう。あの女はやはり泣き伏したままじゃ。おれは浜べにじだんだを踏《ふ》みながら、返せ返せと手招ぎをした。」
 御主人の御腹立ちにも関《かかわ》らず、わたしは御話を伺っている内に、自然とほほ笑《え》んでしまいました。すると御主人も御笑いになりながら、
「その手招ぎが伝わっているのじゃ。嗔恚の祟《たた》りはそこにもある。あの時おれが怒《おこ》りさえせねば、俊寛は都へ帰りたさに、狂いまわったなぞと云う事も、口《くち》の端《は》へ上《のぼ》らずにすんだかも知れぬ。」と、仕方がなさそうにおっしゃるのです。
「しかしその後《のち》は格別《かくべつ》に、御歎きなさる事はなかったのですか?」
「歎《なげ》いても仕方はないではないか? その上《うえ》時のたつ内には、寂しさも次第に消えて行った。おれは今では己身《こしん》の中《うち》に、本仏《
前へ 次へ
全44ページ中41ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング