ました。」
「何、美しい顔をしていた? 美しい顔とはどう云う顔じゃ?」
「まあ、眼の細い、頬《ほお》のふくらんだ、鼻の余り高くない、おっとりした顔かと思いますが、――」
「それもやはり都の好みじゃ。この島ではまず眼の大きい、頬のどこかほっそりした、鼻も人よりは心もち高い、きりりした顔が尊まれる。そのために今の女なぞも、ここでは誰も美しいとは云わぬ。」
 わたしは思わず笑い出しました。
「やはり土人の悲しさには、美しいと云う事を知らないのですね。そうするとこの島の土人たちは、都の上臈《じょうろう》を見せてやっても、皆|醜《みにく》いと笑いますかしら?」
「いや、美しいと云う事は、この島の土人も知らぬではない。ただ好みが違っているのじゃ。しかし好みと云うものも、万代不変《ばんだいふへん》とは請合《うけあ》われぬ。その証拠には御寺《みてら》御寺の、御仏《みほとけ》の御姿《みすがた》を拝むが好《よ》い。三界六道《さんがいろくどう》の教主、十方最勝《じっぽうさいしょう》、光明無量《こうみょうむりょう》、三学無碍《さんがくむげ》、億億衆生引導《おくおくしゅじょういんどう》の能化《のうげ》、南無大慈大悲《なむだいじだいひ》釈迦牟尼如来《しゃかむににょらい》も、三十二|相《そう》八十|種好《しゅこう》の御姿《おすがた》は、時代ごとにいろいろ御変りになった。御仏《みほとけ》でももしそうとすれば、如何《いかん》かこれ美人と云う事も、時代ごとにやはり違う筈じゃ。都でもこの後《のち》五百年か、あるいはまた一千年か、とにかくその好みの変る時には、この島の土人の女どころか、南蛮北狄《なんばんほくてき》の女のように、凄《すさ》まじい顔がはやるかも知れぬ。」
「まさかそんな事もありますまい。我国ぶりはいつの世にも、我国ぶりでいる筈ですから。」
「所がその我国ぶりも、時と場合では当てにならぬ。たとえば当世の上臈《じょうろう》の顔は、唐朝《とうちょう》の御仏《みほとけ》に活写《いきうつ》しじゃ。これは都人《みやこびと》の顔の好みが、唐土《もろこし》になずんでいる証拠《しょうこ》ではないか? すると人皇《にんおう》何代かの後《のち》には、碧眼《へきがん》の胡人《えびす》の女の顔にも、うつつをぬかす時がないとは云われぬ。」
 わたしは自然とほほ笑《え》みました。御主人は以前もこう云う風に、わたしたちへ御教訓なすったのです。「変らぬのは御姿ばかりではない。御心もやはり昔のままだ。」――そう思うと何だかわたしの耳には、遠い都の鐘の声も、通《かよ》って来るような気がしました。が、御主人は榕樹《あこう》の陰に、ゆっくり御み足を運びながら、こんな事もまたおっしゃるのです。
「有王。おれはこの島に渡って以来、何が嬉しかったか知っているか? それはあのやかましい女房《にょうぼう》のやつに、毎日|小言《こごと》を云われずとも、暮されるようになった事じゃよ。」

        三

 その夜《よ》わたしは結《ゆ》い燈台《とうだい》の光に、御主人の御飯を頂きました。本来ならばそんな事は、恐れ多い次第なのですが、御主人の仰《おお》せもありましたし、御給仕にはこの頃御召使いの、兎唇《みつくち》の童《わらべ》も居りましたから、御招伴《ごしょうばん》に預《あずか》った訳なのです。
 御部屋は竹縁《ちくえん》をめぐらせた、僧庵《そうあん》とも云いたい拵《こしら》えです。縁先に垂れた簾《すだれ》の外には、前栽《せんざい》の竹《たか》むらがあるのですが、椿《つばき》の油を燃やした光も、さすがにそこまでは届きません。御部屋の中には皮籠《かわご》ばかりか、廚子《ずし》もあれば机もある、――皮籠は都を御立ちの時から、御持ちになっていたのですが、廚子や机はこの島の土人が、不束《ふつつか》ながらも御拵《おこしら》え申した、琉球赤木《りゅうきゅうあかぎ》とかの細工《さいく》だそうです。その廚子の上には経文《きょうもん》と一しょに、阿弥陀如来《あみだにょらい》の尊像が一体、端然と金色《こんじき》に輝いていました。これは確か康頼《やすより》様の、都返りの御形見《おかたみ》だとか、伺ったように思っています。
 俊寛《しゅんかん》様は円座《わろうだ》の上に、楽々と御坐りなすったまま、いろいろ御馳走《ごちそう》を下さいました。勿論この島の事ですから、酢《す》や醤油《しょうゆ》は都ほど、味が好《よ》いとは思われません。が、その御馳走の珍しい事は、汁、鱠《なます》、煮《に》つけ、果物、――名さえ確かに知っているのは、ほとんど一つもなかったくらいです。御主人はわたしが呆《あき》れたように、箸《はし》もつけないのを御覧になると、上機嫌に御笑いなさりながら、こう御勧《おすす》め下さいました。
「どうじゃ、その汁の味は? それはこ
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