の島の名産の、臭梧桐《くさぎり》と云う物じゃぞ。こちらの魚《うお》も食うて見るが好《よ》い。これも名産の永良部鰻《えらぶうなぎ》じゃ。あの皿にある白地鳥《しろちどり》、――そうそう、あの焼き肉じゃ。――それも都《みやこ》などでは見た事もあるまい。白地鳥と云う物は、背の青い、腹の白い、形は鸛《こう》にそっくりの鳥じゃ。この島の土人はあの肉を食うと、湿気《しっき》を払うとか称《とな》えている。その芋《いも》も存外味は好《よ》いぞ。名前か? 名前は琉球芋《りゅうきゅういも》じゃ。梶王《かじおう》などは飯の代りに、毎日その芋を食うている。」
梶王と云うのはさっき申した、兎唇《みつくち》の童《わらべ》の名前なのです。
「どれでも勝手に箸《はし》をつけてくれい。粥《かゆ》ばかり啜《すす》っていさえすれば、得脱《とくだつ》するように考えるのは、沙門にあり勝ちの不量見《ふりょうけん》じゃ。世尊《せそん》さえ成道《じょうどう》される時には、牧牛《ぼくぎゅう》の女難陀婆羅《むすめなんだばら》の、乳糜《にゅうび》の供養《くよう》を受けられたではないか? もしあの時空腹のまま、畢波羅樹下《ひっぱらじゅか》に坐っていられたら、第六天の魔王|波旬《はじゅん》は、三人の魔女なぞを遣《つかわ》すよりも、六牙象王《ろくげのぞうおう》の味噌漬《みそづ》けだの、天竜八部《てんりゅうはちぶ》の粕漬《かすづ》けだの、天竺《てんじく》の珍味を降《ふ》らせたかも知らぬ。もっとも食足《くいた》れば淫《いん》を思うのは、我々凡夫の慣《なら》いじゃから、乳糜を食われた世尊の前へ、三人の魔女を送ったのは、波旬も天《あ》っ晴《ぱれ》見上げた才子じゃ。が、魔王の浅間《あさま》しさには、その乳糜を献《けん》じたものが、女人《にょにん》じゃと云う事を忘れて居った。牧牛の女難陀婆羅、世尊に乳糜を献じ奉る、――世尊が無上の道へ入られるには、雪山《せつざん》六年の苦行よりも、これが遥かに大事だったのじゃ。『取彼乳糜《かのにゅうびをとり》如意飽食《いのごとくほうしょくし》、悉皆浄尽《しっかいじょうじんす》。』――仏本行経《ぶつほんぎょうきょう》七巻の中《うち》にも、あれほど難有《ありがた》い所は沢山あるまい。――『爾時菩薩食糜《そのときぼさつびをしょくし》已訖従座而起《すでにおわりてざよりしてたつ》。安庠漸々《あんじょうにぜんぜん》向菩提樹《ぼだいじゅにむかう》。』どうじゃ。『安庠漸々《あんじょうにぜんぜん》向菩提樹《ぼだいじゅにむかう》。』女人《にょにん》を見、乳糜に飽《あ》かれた、端厳微妙《たんごんみみょう》の世尊の御姿が、目《ま》のあたりに拝《おが》まれるようではないか?」
俊寛様は楽しそうに、晩の御飯をおしまいになると、今度は涼しい竹縁《ちくえん》の近くへ、円座《わろうだ》を御移しになりながら、
「では空腹が直ったら、都《みやこ》の便りでも聞かせて貰おう。」とわたしの話を御促《おうなが》しになりました。
わたしは思わず眼を伏せました。兼ねて覚悟はしていたものの、いざ申し上げるとなって見ると、今更のように心が怯《おく》れたのです。しかし御主人は無頓着に、芭蕉《ばしょう》の葉の扇《おうぎ》を御手にしたまま、もう一度|御催促《ごさいそく》なさいました。
「どうじゃ、女房は相不変《あいかわらず》小言《こごと》ばかり云っているか?」
わたしはやむを得ず俯向《うつむ》いたなり、御留守《おるす》の間《あいだ》に出来《しゅったい》した、いろいろの大変を御話しました。御主人が御捕《おとら》われなすった後《のち》、御近習《ごきんじゅ》は皆逃げ去った事、京極《きょうごく》の御屋形《おやかた》や鹿《しし》ヶ谷《たに》の御山荘も、平家《へいけ》の侍に奪われた事、北《きた》の方《かた》は去年の冬、御隠れになってしまった事、若君も重い疱瘡《もがさ》のために、その跡を御追いなすった事、今ではあなたの御家族の中でも、たった一人|姫君《ひめぎみ》だけが、奈良《なら》の伯母御前《おばごぜ》の御住居《おすまい》に、人目を忍んでいらっしゃる事、――そう云う御話をしている内に、わたしの眼にはいつのまにか、燈台の火影《ほかげ》が曇って来ました。軒先の簾《すだれ》、廚子《ずし》の上の御仏《みほとけ》、――それももうどうしたかわかりません。わたしはとうとう御話|半《なか》ばに、その場へ泣き沈んでしまいました。御主人は始終|黙然《もくねん》と、御耳を傾けていらしったようです。が、姫君の事を御聞きになると、突然さも御心配そうに、法衣《ころも》の膝を御寄せになりました。
「姫はどうじゃ? 伯母御前にはようなついているか?」
「はい。御睦《おむつま》しいように存じました。」
わたしは泣く泣く俊寛様へ、姫君の御消息《ごしょうそく》をさし
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