り》には豕《いのこ》が飼ってあるとか、いろいろ教えて下さいました。しかしそれよりも嬉しかったのは、烏帽子《えぼし》さえかぶらない土人の男女が、俊寛様の御姿を見ると、必ず頭を下げた事です。殊に一度なぞはある家の前に、鶏《とり》を追っていた女の児さえ、御時宜《おじぎ》をしたではありませんか? わたしは勿論嬉しいと同時に、不思議にも思ったものですから、何か訳のある事かと、そっと御主人に伺《うかが》って見ました。
「成経《なりつね》様や康頼《やすより》様が、御話しになった所では、この島の土人も鬼《おに》のように、情《なさけ》を知らぬ事かと存じましたが、――」
「なるほど、都にいるものには、そう思われるに相違あるまい。が、流人《るにん》とは云うものの、おれたちは皆|都人《みやこびと》じゃ。辺土《へんど》の民はいつの世にも、都人と見れば頭を下げる。業平《なりひら》の朝臣《あそん》、実方《さねかた》の朝臣、――皆大同小異ではないか? ああ云う都人もおれのように、東《あずま》や陸奥《みちのく》へ下《くだ》った事は、思いのほか楽しい旅だったかも知れぬ。」
「しかし実方の朝臣などは、御隠れになった後《のち》でさえ、都恋しさの一念から、台盤所《だいばんどころ》の雀《すずめ》になったと、云い伝えて居《お》るではありませんか?」
「そう云う噂《うわさ》を立てたものは、お前と同じ都人じゃ。鬼界《きかい》が島《しま》の土人と云えば、鬼のように思う都人じゃ。して見ればこれも当てにはならぬ。」
その時また一人御主人に、頭を下げた女がいました。これはちょうど榕樹《あこう》の陰に、幼な児を抱いていたのですが、その葉に後《うしろ》を遮《さえぎ》られたせいか、紅染《べにぞ》めの単衣《ひとえ》を着た姿が、夕明りに浮んで見えたものです。すると御主人はこの女に、優《やさ》しい会釈《えしゃく》を返されてから、
「あれが少将の北《きた》の方《かた》じゃぞ。」と、小声に教えて下さいました。
わたしはさすがに驚きました。
「北《きた》の方《かた》と申しますと、――成経様はあの女と、夫婦になっていらしったのですか?」
俊寛様は薄笑いと一しょに、ちょいと頷《うなず》いて御見せになりました。
「抱いていた児も少将の胤《たね》じゃよ。」
「なるほど、そう伺って見れば、こう云う辺土《へんど》にも似合わない、美しい顔をして居り
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