でいるだけ、天下の政治には不向きかも知れぬ。おれはただ平家《へいけ》の天下は、ないに若《し》かぬと云っただけじゃ。源平藤橘《げんぺいとうきつ》、どの天下も結局あるのはないに若《し》かぬ。この島の土人を見るが好《よ》い。平家の代《よ》でも源氏の代でも、同じように芋《いも》を食うては、同じように子を生んでいる。天下の役人は役人がいぬと、天下も亡ぶように思っているが、それは役人のうぬ惚《ぼ》れだけじゃ。」
「が僧都《そうず》の御房《ごぼう》の天下になれば、何御不足にもありますまい。」
 俊寛《しゅんかん》様の御眼《おめ》の中には、わたしの微笑が映ったように、やはり御微笑が浮びました。
「成親《なりちか》の卿の天下同様、平家《へいけ》の天下より悪いかも知れぬ。何故《なぜ》と云えば俊寛は、浄海入道《じょうかいにゅうどう》より物わかりが好《よ》い。物わかりが好ければ政治なぞには、夢中になれぬ筈ではないか? 理非曲直《りひきょくちょく》も弁《わきま》えずに、途方《とほう》もない夢ばかり見続けている、――そこが高平太《たかへいだ》の強い所じゃ。小松《こまつ》の内府《ないふ》なぞは利巧なだけに、天下を料理するとなれば、浄海入道より数段下じゃ。内府も始終病身じゃと云うが、平家一門のためを計《はか》れば、一日も早く死んだが好《よ》い。その上またおれにしても、食色《じきしき》の二性を離れぬ事は、浄海入道と似たようなものじゃ。そう云う凡夫《ぼんぷ》の取った天下は、やはり衆生《しゅじょう》のためにはならぬ。所詮人界《しょせんにんがい》が浄土になるには、御仏《みほとけ》の御天下《おんてんか》を待つほかはあるまい。――おれはそう思っていたから、天下を計る心なぞは、微塵《みじん》も貯えてはいなかった。」
「しかしあの頃は毎夜のように、中御門高倉《なかみかどたかくら》の大納言様《だいなごんさま》へ、御通いなすったではありませんか?」
 わたしは御不用意を責めるように、俊寛様の御顔を眺めました、ほんとうに当時の御主人は、北《きた》の方《かた》の御心配も御存知ないのか、夜は京極《きょうごく》の御屋形《おやかた》にも、滅多《めった》に御休みではなかったのです。しかし御主人は不相変《あいかわらず》、澄ました御顔をなすったまま、芭蕉扇《ばしょうせん》を使っていらっしゃいました。
「そこが凡夫の浅ましさじゃ。ちょ
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