狂い死をなさる所を聞けば、つい涙さえ落しました。たとい嘘とは云うものの、ああ云う琵琶法師《びわほうし》の語った嘘は、きっと琥珀《こはく》の中の虫のように、末代までも伝わるでしょう。して見ればそう云う嘘があるだけ、わたしでも今の内ありのままに、俊寛様の事を御話しないと、琵琶法師の嘘はいつのまにか、ほんとうに変ってしまうかも知れない――と、こうあなたはおっしゃるのですか? なるほどそれもごもっともです。ではちょうど夜長を幸い、わたしがはるばる鬼界《きかい》が島《しま》へ、俊寛様を御尋ね申した、その時の事を御話しましょう。しかしわたしは琵琶法師のように、上手にはとても話されません。ただわたしの話の取り柄《え》は、この有王が目《ま》のあたりに見た、飾りのない真実と云う事だけです。ではどうかしばらくの間《あいだ》、御退屈でも御聞き下さい。

        二

 わたしが鬼界が島に渡ったのは、治承《じしょう》三年五月の末、ある曇った午《ひる》過ぎです。これは琵琶法師も語る事ですが、その日もかれこれ暮れかけた時分、わたしはやっと俊寛《しゅんかん》様に、めぐり遇《あ》う事が出来ました。しかもその場所は人気《ひとけ》のない海べ、――ただ灰色の浪《なみ》ばかりが、砂の上に寄せては倒れる、いかにも寂しい海べだったのです。
 俊寛様のその時の御姿は、――そうです。世間に伝わっているのは、「童《わらわ》かとすれば年老いてその貌《かお》にあらず、法師かと思えばまた髪は空《そら》ざまに生《お》い上《あが》りて白髪《はくはつ》多し。よろずの塵《ちり》や藻屑《もくず》のつきたれども打ち払わず。頸《くび》細くして腹大きに脹《は》れ、色黒うして足手細し。人にして人に非ず。」と云うのですが、これも大抵《たいてい》は作り事です。殊に頸《くび》が細かったの、腹が脹《は》れていたのと云うのは、地獄変《じごくへん》の画《え》からでも思いついたのでしょう。つまり鬼界が島と云う所から、餓鬼《がき》の形容を使ったのです。なるほどその時の俊寛様は、髪も延びて御出《おい》でになれば、色も日に焼けていらっしゃいましたが、そのほかは昔に変らない、――いや、変らないどころではありません。昔よりも一層《いっそう》丈夫そうな、頼もしい御姿《おすがた》だったのです。それが静かな潮風《しおかぜ》に、法衣《ころも》の裾を吹かせながら、
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