くさんへんど》の中《うち》にも、おれほどの苦を受けているものは、恒河沙《ごうがしゃ》の数《かず》より多いかも知れぬ。いや、人界《にんがい》に生れ出たものは、たといこの島に流されずとも、皆おれと同じように、孤独の歎《たん》を洩《も》らしているのじゃ。村上《むらかみ》の御門《みかど》第七の王子、二品中務親王《にほんなかつかさしんのう》、六代の後胤《こういん》、仁和寺《にんなじ》の法印寛雅《ほういんかんが》が子、京極《きょうごく》の源大納言雅俊卿《みなもとのだいなごんまさとしきょう》の孫に生れたのは、こう云う俊寛《しゅんかん》一人じゃが、天《あめ》が下《した》には千の俊寛、万の俊寛、十万の俊寛、百億の俊寛が流されているぞ。――」
 俊寛様はこうおっしゃると、たちまちまた御眼《おんめ》のどこかに、陽気な御気色《みけしき》が閃《ひらめ》きました。
「一条二条の大路《おおじ》の辻に、盲人が一人さまようているのは、世にも憐《あわ》れに見えるかも知れぬ。が、広い洛中洛外《らくちゅうらくがい》、無量無数の盲人どもに、充ち満ちた所を眺めたら、――有王《ありおう》。お前はどうすると思う? おれならばまっ先にふき出してしまうぞ。おれの島流しも同じ事じゃ。十方《じっぽう》に遍満《へんまん》した俊寛どもが、皆ただ一人流されたように、泣きつ喚《わめ》きつしていると思えば、涙の中《うち》にも笑わずにはいられぬ。有王。三界一心《さんがいいっしん》と知った上は、何よりもまず笑う事を学べ。笑う事を学ぶためには、まず増長慢を捨てねばならぬ。世尊《せそん》の御出世《ごしゅっせい》は我々|衆生《しゅじょう》に、笑う事を教えに来られたのじゃ。大般涅槃《だいはつねはん》の御時《おんとき》にさえ、摩訶伽葉《まかかしょう》は笑ったではないか?」
 その時はわたしもいつのまにか、頬《ほお》の上に涙が乾いていました。すると御主人は簾《すだれ》越しに、遠い星空を御覧になりながら、
「お前が都へ帰ったら、姫にも歎きをするよりは、笑う事を学べと云ってくれい。」と、何事もないようにおっしゃるのです。
「わたしは都へは帰りません。」
 もう一度わたしの眼の中には、新たに涙が浮んで来ました。今度はそう云う御言葉を、御恨《おうら》みに思った涙なのです。
「わたしは都にいた時の通り、御側勤《おそばづと》めをするつもりです。年とった一人の
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