蔵の墨妙の中《うち》でも、黄金《おうごん》二十|鎰《いつ》に換えたという、李営丘《りえいきゅう》の山陰泛雪図《さんいんはんせつず》でさえ、秋山図の神趣に比べると、遜色《そんしょく》のあるのを免《まぬか》れません。ですから翁は蒐集家としても、この稀代《きだい》の黄一峯《こういっぽう》が欲しくてたまらなくなったのです。
 そこで潤州《じゅんしゅう》にいる間《あいだ》に、翁は人を張氏に遣《つか》わして、秋山図を譲ってもらいたいと、何度も交渉してみました。が、張氏はどうしても、翁の相談に応じません。あの顔色《かおいろ》の蒼白《あおじろ》い主人は、使に立ったものの話によると、「それほどこの画がお気に入ったのなら、喜んで先生にお貸し申そう。しかし手離すことだけは、ごめん蒙《こうむ》りたい」と言ったそうです。それがまた気を負った煙客翁には、多少|癇《かん》にも障《さわ》りました。何、今貸してもらわなくても、いつかはきっと手に入れてみせる。――翁はそう心に期《ご》しながら、とうとう秋山図を残したなり、潤州を去ることになりました。
 それからまた一年ばかりの後《のち》、煙客翁は潤州へ来たついでに、張氏の
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