秋山図
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)黄大癡《こうたいち》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大癡老人|黄公望《こうこうぼう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2−12−56]
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「――黄大癡《こうたいち》といえば、大癡の秋山図《しゅうざんず》をご覧《らん》になったことがありますか?」
 ある秋の夜《よ》、甌香閣《おうこうかく》を訪《たず》ねた王石谷《おうせきこく》は、主人の※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2−12−56]南田《うんなんでん》と茶を啜《すす》りながら、話のついでにこんな問を発した。
「いや、見たことはありません。あなたはご覧になったのですか?」
 大癡老人|黄公望《こうこうぼう》は、梅道人《ばいどうじん》や黄鶴山樵《こうかくさんしょう》とともに、元朝《げんちょう》の画《え》の神手《しんしゅ》である。※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2−12−56]南田はこう言いながら、かつて見た沙磧図《させきず》や富春巻《ふうしゅんかん》が、髣髴《ほうふつ》と眼底に浮ぶような気がした。
「さあ、それが見たと言って好《い》いか、見ないと言って好いか、不思議なことになっているのですが、――」
「見たと言って好いか、見ないと言って好いか、――」
 ※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2−12−56]南田は訝《いぶか》しそうに、王石谷の顔へ眼《め》をやった。
「模本《もほん》でもご覧になったのですか?」
「いや、模本を見たのでもないのです。とにかく真蹟《しんせき》は見たのですが、――それも私《わたし》ばかりではありません。この秋山図のことについては、煙客先生《えんかくせんせい》(王時敏《おうじびん》)や廉州先生《れんしゅうせんせい》(王鑑《おうかん》)も、それぞれ因縁《いんねん》がおありなのです」
 王石谷はまた茶を啜った後《のち》、考深《かんがえぶか》そうに微笑した。
「ご退屈でなければ話しましょうか?」
「どうぞ」
 ※[#「りっしんべん+軍」、第4水準2−12−56]南田は銅檠《どうけい》の火を掻き立ててから、慇懃《いんぎん》に客を促した。

    
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