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元宰先生《げんさいせんせい》(董其昌《とうきしょう》)が在世中《ざいせいちゅう》のことです。ある年の秋先生は、煙客翁《えんかくおう》と画論をしている内に、ふと翁に、黄一峯《こういっぽう》の秋山図を見たかと尋ねました。翁はご承知のとおり画事の上では、大癡を宗《そう》としていた人です。ですから大癡の画という画はいやしくも人間《じんかん》にある限り、看尽《みつく》したと言ってもかまいません。が、その秋山図という画ばかりは、ついに見たことがないのです。
「いや、見るどころか、名を聞いたこともないくらいです」
煙客翁はそう答えながら、妙に恥《はずか》しいような気がしたそうです。
「では機会のあり次第、ぜひ一度は見ておおきなさい。夏山図《かざんず》や浮嵐図《ふらんず》に比べると、また一段と出色《しゅっしょく》の作です。おそらくは大癡《たいち》老人の諸本の中でも、白眉《はくび》ではないかと思いますよ」
「そんな傑作ですか? それはぜひ見たいものですが、いったい誰が持っているのです?」
「潤州《じゅんしゅう》の張氏《ちょうし》の家にあるのです。金山寺《きんざんじ》へでも行った時に、門を叩《たた》いてご覧《らん》なさい。私《わたし》が紹介状を書いて上げます」
煙客翁《えんかくおう》は先生の手簡を貰《もら》うと、すぐに潤州へ出かけて行きました。何しろそういう妙画を蔵している家ですから、そこへ行けば黄一峯《こういっぽう》の外《ほか》にも、まだいろいろ歴代の墨妙《ぼくみょう》を見ることができるに違いない。――こう思った煙客翁は、もう一刻も西園《さいえん》の書房に、じっとしていることはできないような、落着かない気もちになっていたのです。
ところが潤州へ来て観《み》ると、楽みにしていた張氏の家というのは、なるほど構えは広そうですが、いかにも荒れ果てているのです。墻《かき》には蔦《つた》が絡《から》んでいるし、庭には草が茂っている。その中に鶏《にわとり》や家鴨《あひる》などが、客の来たのを珍しそうに眺めているという始末ですから、さすがの翁もこんな家に、大癡の名画があるのだろうかと、一時は元宰先生《げんさいせんせい》の言葉が疑いたくなったくらいでした。しかしわざわざ尋ねて来ながら、刺《し》も通ぜずに帰るのは、もちろん本望《ほんもう》ではありません。そこで取
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