も明治維新とともに生まれた卑しむべき新文明の実利主義は全国にわたって、この大いなる中世の城楼を、なんの容赦もなく破壊した。自分は、不忍池《しのばずのいけ》を埋めて家屋を建築しようという論者をさえ生んだわらうべき時代思想を考えると、この破壊もただ微笑をもって許さなければならないと思っている。なぜといえば、天主閣は、明治の新政府に参与した薩長土肥《さっちょうどひ》の足軽《あしがる》輩に理解せらるべく、あまりに大いなる芸術の作品であるからである。今日に至るまで、これらの幼稚なる偶像破壊者《アイコノクラスト》の手を免がれて、記憶すべき日本の騎士時代を後世に伝えんとする天主閣の数は、わずかに十指を屈するのほかに出ない。自分はその一つにこの千鳥城の天主閣を数えうることを、松江の人々のために心から祝したいと思う。そうして蘆《あし》と藺《い》との茂る濠《ほり》を見おろして、かすかな夕日の光にぬらされながら、かいつぶり鳴く水に寂しい白壁の影を落している、あの天主閣の高い屋根がわらがいつまでも、地に落ちないように祈りたいと思う。
 しかし、松江の市《まち》が自分に与えたものは満足ばかりではない。自分は天主
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