の穴の中から顔を出した。そう云えば鼻柱の上にも一人、得意そうにパンス・ネエに跨《またが》っている。……
自働車の止まったのは大伝馬町《おおでんまちょう》である。同時に乗客は三四人、一度に自働車を降りはじめた。宣教師はいつか本を膝《ひざ》に、きょろきょろ窓の外を眺めている。すると乗客の降り終るが早いか、十一二の少女が一人、まっ先に自働車へはいって来た。褪紅色《たいこうしょく》の洋服に空色の帽子《ぼうし》を阿弥陀《あみだ》にかぶった、妙に生意気《なまいき》らしい少女である。少女は自働車のまん中にある真鍮《しんちゅう》の柱につかまったまま、両側の席を見まわした。が、生憎《あいにく》どちら側にも空《あ》いている席は一つもない。
「お嬢さん。ここへおかけなさい。」
宣教師は太い腰を起した。言葉はいかにも手に入った、心もち鼻へかかる日本語である。
「ありがとう。」
少女は宣教師と入れ違いに保吉の隣りへ腰をかけた。そのまた「ありがとう」も顔のように小《こ》ましゃくれた抑揚《よくよう》に富んでいる。保吉は思わず顔をしかめた。由来子供は――殊に少女は二千年|前《ぜん》の今月今日、ベツレヘムに生まれた赤児《あかご》のように清浄無垢《しょうじょうむく》のものと信じられている。しかし彼の経験によれば、子供でも悪党のない訣《わけ》ではない。それをことごとく神聖がるのは世界に遍満《へんまん》したセンティメンタリズムである。
「お嬢さんはおいくつですか?」
宣教師は微笑《びしょう》を含んだ眼に少女の顔を覗《のぞ》きこんだ。少女はもう膝の上に毛糸の玉を転がしたなり、さも一かど編めるように二本の編み棒を動かしている。それが眼は油断なしに編み棒の先を追いながら、ほとんど媚《こび》を帯びた返事をした。
「あたし? あたしは来年十二。」
「きょうはどちらへいらっしゃるのですか?」
「きょう? きょうはもう家《うち》へ帰る所なの。」
自働車はこう云う問答の間に銀座の通りを走っている。走っていると云うよりは跳《は》ねていると云うのかも知れない。ちょうど昔ガリラヤの湖《みずうみ》にあらしを迎えたクリストの船にも伯仲《はくちゅう》するかと思うくらいである。宣教師は後《うし》ろへまわした手に真鍮《しんちゅう》の柱をつかんだまま、何度も自働車の天井へ背《せい》の高い頭をぶつけそうになった。しかし一身の安危《
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