ともった行燈《あんどう》が置いてあった。そこに頬骨の高い年増《としま》が一人、猪首《いくび》の町人と酒を飲んでいた。年増は時々|金切声《かなきりごえ》に、「若旦那《わかだんな》」と相手の町人を呼んだ。そうして、――穂積中佐は舞台を見ずに、彼自身の記憶に浸《ひた》り出した。柳盛座《りゅうせいざ》の二階の手すりには、十二三の少年が倚《よ》りかかっている。舞台には桜の釣り枝がある。火影《ほかげ》の多い町の書割《かきわり》がある。その中に二銭《にせん》の団洲《だんしゅう》と呼ばれた、和光《わこう》の不破伴左衛門《ふわばんざえもん》が、編笠《あみがさ》を片手に見得《みえ》をしている。少年は舞台に見入ったまま、ほとんど息さえもつこうとしない。彼にもそんな時代があった。……
「余興やめ! 幕を引かんか? 幕! 幕!」
将軍の声は爆弾のように、中佐の追憶を打ち砕《くだ》いた。中佐は舞台へ眼を返した。舞台にはすでに狼狽《ろうばい》した少尉が、幕と共に走っていた。その間《あいだ》にちらりと屏風の上へ、男女の帯の懸かっているのが見えた。
中佐は思わず苦笑《くしょう》した。「余興掛も気が利《き》かなすぎる
前へ
次へ
全38ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング