その敷物自身が、百十の微粒分子《びりゅうぶんし》になって、動き出したとも云うべきくらいであった。
仔蜘蛛はすぐに円頂閣《ドオム》の窓をくぐって、日の光と風との通っている、庚申薔薇《こうしんばら》の枝へなだれ出した。彼等のある一団は炎暑を重く支えている薔薇の葉の上にひしめき合った。またその一団は珍しそうに、幾重《いくえ》にも蜜の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》を抱《いだ》いた薔薇の花の中へまぐれこんだ。そうしてさらにまたある一団は、縦横に青空を裂《さ》いている薔薇の枝と枝との間へ、早くも眼には見えないほど、細い糸を張り始めた。もし彼等に声があったら、この白日の庚申薔薇は、梢《こずえ》にかけたヴィオロンが自《おのずか》ら風に歌うように、鳴りどよんだのに違いなかった。
しかしその円頂閣《ドオム》の窓の前には、影のごとく痩《や》せた母蜘蛛が、寂しそうに独り蹲《うずくま》っていた。のみならずそれはいつまで経っても、脚一つ動かす気色《けしき》さえなかった。まっ白な広間の寂寞《せきばく》と凋《しぼ》んだ薔薇の莟《つぼみ》の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]と、
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