煤u言う」に傍点]ことをするように」である。
八 又ある人びと
わたしはまたある人々を知っている。それらの人々は何ごとにも容易に飽《あ》くことを知らない。一人の女人《にょにん》や一つの想念《イデエ》や一本の石竹《せきちく》や一きれのパンをいやが上にも得ようとしている。したがってそれらの人びとほどぜいたくに暮らしているものはない。同時にまたそれらの人びとほどみじめに暮らしているものはない。それらの人々はいつの間にかいろいろのものの奴隷になっている。したがって他人には天国を与えても、――あるいは天国に至る途《みち》を与えても、天国はついにそれらの人々自身のものになることはできない。「多欲喪身《たよくそうしん》」という言葉はそれらの人々に与えられるであろう。孔雀《くじゃく》の羽根の扇や人乳を飲んだ豚《ぶた》の仔《こ》の料理さえそれらの人びとにはそれだけでは決して満足を与えないのである。それらの人々は必然に悲しみや苦しみさえ求めずにはいられない。(求めずとも与えられる当然の悲しみや苦しみのほかにも)そこにそれらの人々を他の人々から截《き》り離す一すじの溝《みぞ》は掘られている。
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