だい》はSさんの云っているよりも、ずっと危《あやう》いのではないかと思った。あるいはもう入院させても、手遅れなのではないかとも思った。しかしもとよりそんなことにこだわっているべき場合ではなかった。自分は早速Sさんに入院の運びを願うことにした。「じゃU病院にしましょう。近いだけでも便利ですから」Sさんはすすめられた茶も飲まずに、U病院へ電話をかけに行った。自分はその間に妻を呼び、伯母にも病院へ行って貰うことにした。
その日は客に会う日だった。客は朝から四人ばかりあった。自分は客と話しながら、入院の支度《したく》を急いでいる妻や伯母を意識していた。すると何か舌の先に、砂粒《すなつぶ》に似たものを感じ出した。自分はこのごろ齲歯《むしば》につめたセメントがとれたのではないかと思った。けれども指先に出して見ると、ほんとうの歯の欠けたのだった。自分は少し迷信的になった。しかし客とは煙草《たばこ》をのみのみ、売り物に出たとか噂のある抱一《ほういつ》の三味線の話などをしていた。
そこへまた筋肉労働者と称する昨日《きのう》の青年も面会に来た。青年は玄関に立ったまま、昨日貰った二冊の本は一円二十銭にし
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