《しめき》りはあしたの朝に迫っていた。自分は気乗《きのり》のしないのを、無理にペンだけ動かしつづけた。けれども多加志の泣き声はとかく神経にさわり勝ちだった。のみならず多加志が泣きやんだと思うと、今度は二つ年上の比呂志《ひろし》も思い切り、大声に泣き出したりした。
神経にさわることはそればかりではなかった。午後には見知らない青年が一人、金の工面《くめん》を頼みに来た。「僕は筋肉労働者ですが、C先生から先生に紹介状を貰《もら》いましたから」青年は無骨《ぶこつ》そうにこう云った。自分は現在|蟇口《がまぐち》に二三円しかなかったから、不用の書物を二冊渡し、これを金に換《か》え給えと云った。青年は書物を受け取ると、丹念《たんねん》に奥附《おくづけ》を検《しら》べ出した。「この本は非売品と書いてありますね。非売品でも金になりますか?」自分は情《なさけ》ない心もちになった。が、とにかく売れるはずだと答えた。「そうですか? じゃ失敬します。」青年はただ疑わしそうに、難有《ありがと》うとも何とも云わずに帰って行った。
Sさんは日の暮にも洗腸をした。今度は粘液もずっと減《へ》っていた。「ああ、今晩は少
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