uしかしドオラが見つけない筈はない。」
 この時幸ひトルストイ夫人が、二人の翁《おきな》に笑顔を見せながら、さりげない仲裁を試みに来た。夫人は明朝もう一度、子供たちを探しによこすから、今夜はこの儘トルストイの屋敷へ、引き上げた方が好からうと云つた。トウルゲネフはすぐに賛成した。
「ではさう願ふ事にしませう。明日になればきつとわかります。」
「さうだね、明日になればきつとわかるだらう。」
 トルストイはまだ不服さうに、意地の悪い反語を投げつけると、突然トウルゲネフへ背を見せながら、さつさと林の外へ歩き出した。……
 トウルゲネフが寝室へ退いたのは、その夜の十一時前後だつた。彼はやつと独りになると、どつかり椅子へ坐つた儘、茫然とあたりを眺め廻した。
 寝室は平生《ふだん》トルストイが、書斎に定《き》めてゐる一室だつた。大きな書架、龕《がん》の中の半身像、三四枚の肖像の額、壁にとりつけた牡鹿の頭、――彼の周囲にはそれらの物が、蝋燭《らふそく》の光に照らされながら、少しも派手な色彩のない、冷かな空気をつくつてゐた。が、それにも関らず、単に独りになつたと云ふ事が、兎に角今夜のトウルゲネフには、不
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