4−33]《はやぶさ》二基を※[#「敬/手」、第3水準1−84−92]《たずさ》えさせ給う。富士司の御鷹匠は相本喜左衛門《あいもときざえもん》と云うものなりしが、其日は上様御自身に富士司を合さんとし給うに、雨上《あまあが》りの畦道《あぜみち》のことなれば、思わず御足《おんあし》もとの狂いしとたん、御鷹《おたか》はそれて空中に飛び揚り、丹頂も俄《にわ》かに飛び去りぬ。この様《さま》を見たる喜左衛門は一時《いちじ》の怒に我を忘れ、この野郎《やろう》、何をしやがったと罵《ののし》りけるが、たちまち御前《ごぜん》なりしに心づき、冷汗《れいかん》背《せ》を沾《うるお》すと共に、蹲踞《そんきょ》してお手打ちを待ち居りしに、上様には大きに笑わせられ、予の誤《あやまり》じゃ、ゆるせと御意《ぎょい》あり。なお喜左衛門の忠直《ちゅうちょく》なるに感じ給い、御帰城の後《のち》は新地《しんち》百石《ひゃっこく》に御召し出しの上、組外《くみはず》れに御差加《おさしくわ》えに相成り、御鷹部屋《おたかべや》御用掛《ごようがかり》に被成《なされ》給いしとぞ。
「その後富士司の御鷹は柳瀬清八《やなせせいはち》の掛りとなりしに、一時|病《や》み鳥となりしことあり。ある日上様清八を召され、富士司の病《やまい》はと被仰《おおせられ》し時、すでに快癒の後《のち》なりしかば、すきと全治《ぜんじ》、ただいまでは人をも把《と》り兼《か》ねませぬと申し上げし所、清八の利口をや憎《にく》ませ給いけん、夫《それ》は一段、さらば人を把らせて見よと御意あり。清八は爾来《じらい》やむを得ず、己《おの》が息子《むすこ》清太郎《せいたろう》の天額《てんがく》にたたき餌《え》小ごめ餌などを載せ置き、朝夕《あさゆう》富士司を合せければ、鷹も次第に人の天額へ舞い下《さが》る事を覚えこみぬ。清八は取り敢ず御鷹匠|小頭《こがしら》より、人を把るよしを言上《ごんじょう》しけるに、そは面白からん、明日《みょうにち》南の馬場《ばば》へ赴《おもむ》き、茶坊主|大場重玄《おおばじゅうげん》を把らせて見よと御沙汰《ごさた》あり。辰《たつ》の刻《こく》頃より馬場へ出御《しゅつぎょ》、大場重玄をまん中に立たせ、清八、鷹をと御意ありしかば、清八はここぞと富士司を放つに、鷹はたちまち真一文字《まいちもんじ》に重玄の天額をかい掴《つか》みぬ。清八は得たりと勇み
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