する。二人はまたしばらくの間《あいだ》、正眼《せいがん》の睨《にら》み合いを続けて居りました。すると今度は数馬《かずま》から多門《たもん》の小手《こて》へしかけました。多門はその竹刀《しない》を払いざまに、数馬の小手へはいりました。この多門の取った小手は数馬の取ったのに比べますと、弱かったようでございまする。少くとも数馬の取ったよりも見事だったとは申されませぬ。しかしわたくしはその途端《とたん》に多門へ扇を挙げてしまいました。つまり最初の一本の勝は多門のものになったのでございまする。わたくしはしまったと思いました。が、そう思う心の裏には、いや、行司《ぎょうじ》は誤っては居らぬ、誤って居《い》ると思うのは数馬に依怙《えこ》のあるためだぞと囁《ささや》くものがあるのでございまする。………」
「それからいかが致した?」
 治修《はるなが》はやや苦《にが》にがしげに、不相変《あいかわらず》ちょっと口を噤《つぐ》んだ三右衛門の話を催促《さいそく》した。
「二人はまたもとのように、竹刀の先をすり合せました。一番長い気合《きあい》のかけ合いはこの時だったかと覚えて居りまする。しかし数馬は相手の竹刀へ竹刀を触《ふ》れたと思うが早いか、いきなり突《つき》を入れました。突はしたたかにはいりました。が、同時に多門の竹刀も数馬の面《めん》を打ったのでございまする。わたくしは相打《あいう》ちを伝えるために、まっ直に扇を挙げて居りました。しかしその時も相打ちではなかったのかもわかりませぬ。あるいは先後《せんご》を定めるのに迷って居ったのかもわかりませぬ。いや、突のはいったのは面に竹刀を受けるよりも先だったかもわかりませぬ。けれどもとにかく相打ちをした二人は四度目の睨み合いへはいりました。すると今度もしかけたのは数馬からでございました。数馬はもう一度突を入れました。が、この時の数馬の竹刀は心もち先が上《あが》って居りました。多門はその竹刀の下を胴《どう》へ打ちこもうと致しました。それからかれこれ十|合《ごう》ばかりは互に※[#「金+凌のつくり」、第4水準2−91−5]《しのぎ》を削《けず》りました。しかし最後に入り身になった多門は数馬の面へ打ちこみました。………」
「その面は?」
「その面は見事にとられました。これだけは誰の目にも疑いのない多門の勝でございまする。数馬はこの面を取られた後《のち》
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