は必ず画帖《がじょう》などにこう書いていた。
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君看双眼色《きみみよそうがんのいろ》
不語似無愁《かたらざればうれいなきににたり》
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     3 一等戦闘艦××

 一等戦闘艦××は横須賀《よこすか》軍港のドックにはいることになった。修繕工事《しゅうぜんこうじ》は容易に捗《はか》どらなかった。二万|噸《トン》の××は高い両舷《りょうげん》の内外に無数の職工をたからせたまま、何度もいつにない苛立《いらだ》たしさを感じた。が、海に浮かんでいることも蠣《かき》にとりつかれることを思えば、むず痒《がゆ》い気もするのに違いなかった。
 横須賀軍港には××の友だちの△△も碇泊《ていはく》していた。一万二千噸の△△は××よりも年の若い軍艦だった。彼等は広い海越しに時々声のない話をした。△△は××の年齢には勿論、造船技師の手落ちから舵《かじ》の狂い易いことに同情していた。が、××を劬《いたわ》るために一度もそんな問題を話し合ったことはなかった。のみならず何度も海戦をして来た××に対する尊敬のためにいつも敬語を用いていた。
 するとある曇った午後、△△は火薬庫に火のはいったために俄《にわ》かに恐しい爆声を挙げ、半ば海中に横になってしまった。××は勿論びっくりした。(もっとも大勢《おおぜい》の職工たちはこの××の震《ふる》えたのを物理的に解釈したのに違いなかった。)海戦もしない△△の急に片輪《かたわ》になってしまう、――それは実際××にはほとんど信じられないくらいだった。彼は努めて驚きを隠し、はるかに△△を励したりした。が、△△は傾いたまま、炎《ほのお》や煙の立ち昇《のぼ》る中にただ唸《うな》り声を立てるだけだった。
 それから三四日たった後《のち》、二万噸の××は両舷の水圧を失っていたためにだんだん甲板《かんぱん》も乾割《ひわ》れはじめた。この容子《ようす》を見た職工たちはいよいよ修繕工事を急ぎ出した。が、××はいつの間《ま》にか彼自身を見離していた。△△はまだ年も若いのに目の前の海に沈んでしまった。こう云う△△の運命を思えば、彼の生涯は少くとも喜びや苦しみを嘗《な》め尽していた。××はもう昔になったある海戦の時を思い出した。それは旗もずたずたに裂《さ》ければ、マストさえ折れてしまう海戦だった。……
 二万噸の××は白じらと乾いたドッ
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