環さへ嵌めてゐません。しかしわたしはあなたの指に、あらゆる宝石《はうせき》を飾ることが出来ます。又あなたは薄ものや絹を肌につけたことはありますまい。しかしわたしは支那の絹や……」
 娘はうるささうに手を振りました。
娘 「わたくしの夫になる人はわたくしさへ愛せば好いのでございます。わたくしは貧しいみなし児でございすが、贅沢などをしたいとは存じません。」
商人 「それならばわたしの妻になつて下さい。わたしはあなたを愛してゐるのですから。」
娘 「それはまだわたくしにはわかりません。たとひあなたはさう仰有つても、嘘ではないかとも思ふのでございます。」
 商人は何か云はうとしました。が、娘は遮るやうに、口早《くちばや》に言葉《ことば》を続けました。
娘 「それはわたくしの顔かたちは愛して下さるかもわかりません。しかしわたくしの魂《たましひ》も愛して下さるでございませうか? もし愛して下さらなければ、ほんたうにわたくしを愛して下さるとは申せない筈でございます。」
商人 「マルシナアさん。わたしはあなたの魂も顔かたちと同じやうに愛してゐます。もし嘘だと思ふならば、わたしの家へ来て下さい。一|月《
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