にたなびいているだけだった。
ソロモンは幻の消えた後もじっと露台に佇《たたず》んでいた。幻の意味は明かだった。たといそれはソロモン以外の誰にもわからないものだったにもせよ。
エルサレムの夜も更けた後、まだ年の若いソロモンは大勢の妃たちや家来たちと一しょに葡萄の酒を飲み交していた。彼の用いる杯や皿はいずれも純金を用いたものだった。しかしソロモンはふだんのように笑ったり話したりする気はなかった。唯きょうまで知らなかった、妙に息苦しい感慨の漲《みなぎ》って来るのを感じただけだった。
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番紅花《サフラン》の紅《くれなゐ》なるを咎《とが》むる勿《なか》れ。
桂枝《けいし》の匂《にほ》へるを咎むる勿れ。
されど我は悲しいかな。
番紅花は余りに紅なり。
桂枝は余りに匂ひ高し。
[#ここで字下げ終わり]
ソロモンはこう歌いながら、大きい竪琴《たてこと》を掻《か》き鳴《な》らした。のみならず絶えず涙を流した。彼の歌は彼に似げない激越の調べを漲らせていた。妃たちや家来たちはいずれも顔を見合せたりした。が、誰もソロモンにこの歌の意味を尋ねるものはなかった。ソロモンはやっと歌い終る
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