雑筆
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)竹田《ちくでん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)男|仏頂面《ぶつちやうづら》を
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(例)※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》
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竹田《ちくでん》
竹田《ちくでん》は善《よ》き人なり。ロオランなどの評価を学べば、善き画描《ゑか》き以上の人なり。世にあらば知りたき画描き、大雅《たいが》を除けばこの人だと思ふ。友だち同志なれど、山陽《さんやう》の才子ぶりたるは、竹田より遙に品《しな》下《くだ》れり。山陽が長崎に遊びし時、狭斜《けふしや》の遊《いう》あるを疑はれしとて、「家有縞衣待吾返《いへにかういありわがかへるをまつ》、孤衾如水已三年《こきんみづのごとくすでにさんねん》」など云へる詩を作りしは、聊《いささか》眉に唾すべきものなれど、竹田《ちくでん》が同じく長崎より、「不上酒閣《しゆかくにのぼらず》 不買歌鬟償《かくわんをかはずつぐなふ》 周文画《しうぶんのぐわ》 筆頭水《ひつとうのみづ》 墨余山《ぼくよのやま》」の詞《ことば》を寄せたるは、恐らく真情を吐露《とろ》せしなるべし。竹田は詩書画三絶を称せられしも、和歌などは巧《たくみ》ならず。画道にて悟入《ごにふ》せし所も、三十一文字《みそひともじ》の上には一向《いつかう》利《き》き目がないやうなり。その外《ほか》香や茶にも通ぜし由なれど、その道の事は知らざれば、何《なん》ともわれは定め難し。面白きは竹田が茸《たけ》の画《ゑ》を作りし時、頼みし男|仏頂面《ぶつちやうづら》をなしたるに、竹田「わが苦心を見給へ」とて、水に浸《ひた》せし椎茸《しひたけ》を大籠《おほかご》に一杯見せたれば、その男感歎してやみしと云ふ逸話なり。竹田が刻意励精はさる事ながら、俗人を感心させるには、かう云ふ事にまさるものなし。大家《たいか》の苦心談などと云はるる中《うち》、人の悪き名人が、凡下《ぼんげ》の徒を翻弄《ほんらう》する為に仮作したものも少くあるまい。山陽などはどうもやりさうなり。竹田になるとそんな悪戯気《いたづらぎ》は、嘘にもあつたとは思はれず。返す返すも竹田は善き人なり。「田能村《たのむら》竹田」と云ふ書を見たら、前より此の人が好きになつた。この書は著者|大島支郎《おほしましらう》氏、売る所は豊後国《ぶんごのくに》大分《おほいた》の本屋|忠文堂《ちうぶんだう》(七月二十日)
奇聞
大阪の或る工場《こうじやう》へ出入《でいり》する辨当屋の小娘あり。職工の一人《ひとり》、その小娘の頬《ほほ》を舐《な》めたるに、忽ち発狂したる由。
亜米利加《アメリカ》の何処《どこ》かの海岸なり。海水浴の仕度《したく》をしてゐる女、着物を泥棒に盗まれ、一日近くも脱衣場から出る事出来ず。その後《のち》泥棒はつかまりしが、罪名は女の羞恥心《しうちしん》を利用したる不法檻禁罪《ふはふかんきんざい》なりし由。
電車の中で老婦人に足を踏まれし男、忌々《いまいま》しければ向うの足を踏み返したるに、その老婦人忽ち演説を始めて曰《いはく》、「皆さん。この人は唯今私が誤まつて足を踏んだのに、今度はわざと私の足を踏みました。云々《うんぬん》」と。踏み返した男、とうとう閉口《へいこう》してあやまりし由。その老婦人は矢島楫子《やじまかぢこ》女史か何かの子分ならん。
世の中には嘘のやうな話、存外《ぞんぐわい》あるものなり。皆|小穴一遊亭《をあないちいうてい》に聞いた。(七月二十三日)
芭蕉
又|猿簔《さるみの》を読む。芭蕉《ばせを》と去来《きよらい》と凡兆《ぼんてう》との連句の中には、波瀾老成の所多し。就中《なかんづく》こんな所は、何《なん》とも云へぬ心もちにさせる。
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ゆかみて蓋《ふた》のあはぬ半櫃《はんびつ》 兆《てう》
草庵《さうあん》に暫く居ては打《うち》やふり 蕉《せを》
いのち嬉しき撰集《せんじふ》のさた 来《らい》
[#ここで字下げ終わり]
芭蕉が「草庵に暫く居ては打やふり」と付けたる付け方、徳山《とくさん》の棒が空に閃《ひらめ》くやうにして、息もつまるばかりなり。どこからこんな句を拈《ねん》して来るか、恐しと云ふ外《ほか》なし。この鋭さの前には凡兆と雖《いへど》も頭が上《あが》るかどうか。
凡兆と云へば下《しも》の如き所あり。
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昼ねふる青鷺《あをさぎ》の身のたふとさよ 蕉
しよろしよろ水に藺《ゐ》のそよくらん 兆
[#ここで字下げ終わり]
これは凡兆《ぼんてう》の付け方、未《いまだ》しきやうなり。されどこの芭蕉の句は、なかなか世間|並《なみ》の才人が筋斗《きんと》百回した所が、付けられさうもないには違ひなし。
たつた十七字の活殺なれど、芭蕉《ばせを》の自由自在には恐れ入つてしまふ。西洋の詩人の詩などは、日本人故わからぬせゐか、これ程えらいと思つた事なし。まづ「成程《なるほど》」と云ふ位な感心に過ぎず。されば芭蕉のえらさなども、いくら説明してやつた所が、西洋人にはわかるかどうか、疑問の中《うち》の疑問なり。(七月十一日)
蜻蛉
蜻蛉《とんぼ》が木の枝にとまつて居《ゐ》るのを見る。羽根《はね》が四《よ》枚|平《たひら》に並んでゐない。前の二枚が三十度位あがつてゐる。風が吹いて来たら、その羽根で調子を取つてゐた。木の枝は動けども、蜻蛉は去らず。その儘悠々と動いて居る。猶《なほ》よく見ると、風の吹く強弱につれて、前の羽根の角度が可成《かなり》いろいろ変る。色の薄い赤蜻蛉。木の枝は枯枝。見たのは崖《がけ》の上なり。(八月十八日青根温泉にて)
子供
子供の時分の事を書きたる小説はいろいろあり。されど子供が感じた通りに書いたものは少し。大抵《たいてい》は大人《おとな》が子供の時を回顧して書いたと云ふ調子なり。その点では James Joyce が新機軸を出したと云ふべし。
ジヨイスの A Portrait of the Aritist as a Young Man は、如何《いか》にも子供が感じた通りに書いたと云ふ風なり。或は少し感じた通りに書き候《さふらふ》と云ふ気味があるかも知れず。されど珍品は珍品なり。こんな文章を書く人は外《ほか》に一人《ひとり》もあるまい。読んで好《い》い事をしたりと思ふ。(八月二十日)
十千万堂日録
十千万堂日録《とちまんだうにちろく》一月二十五日の記に、紅葉《こうえふ》が諸弟子《しよでし》と芝蘭簿《しらんぼ》の記入を試む条《くだり》あり。風葉《ふうえふ》は「身長今|一寸《いつすん》」を希望とし、春葉《しゆんえふ》は「四十迄生きん事」を希望とし、紅葉は「欧洲大陸にマアブルの句碑を立つ」を希望とす。更に又春葉は書籍に西遊記《さいいうき》を挙げ、風葉は「あらゆる字引類」を挙げ、紅葉はエンサイクロピデイアを挙ぐ。紅葉の好み、諸弟子《しよでし》に比ぶれば、頗《すこぶる》西洋かぶれの気味あり。されどその嫌味なる所に、返つて紅葉の器量の大が窺《うかが》ひ知られるやうな心もちがする。
それから又二十三日の記に、「此|夜《よ》(八)の八を草して黎明《れいめい》に至る。終《つひ》に脱稿せず。たうときものは寒夜《かんや》の炭。」とあり。何《なん》となく嬉しきくだりなり。(八)は金色夜叉《こんじきやしや》の(八)。(八月二十一日)
隣室
「姉《ねえ》さん。これ何?」
「ゼンマイ。」
「ゼンマイ珈琲《コオヒイ》つてこれから拵《こしら》へるんでせう。」
「お前さん莫迦《ばか》ね。ちつと黙つていらつしやいよ。そんな事を云つちや、私《わたし》がきまり悪くなるぢやないの。あれは玄米《げんまい》珈琲よ。」
姉は十四五歳。妹は十二歳の由。この姉妹《しまい》二人《ふたり》ともスケツチ・ブツクを持つて写生に行く。雨降りの日は互に相手の顔を写生するなり。父親は品《ひん》のある五十|恰好《がつかう》の人。この人も画《ゑ》の嗜《たしな》みありげに見ゆ。(八月二十二日青根温泉にて)
若さ
木米《もくべい》は何時《いつ》も黒羽二重《くろはぶたへ》づくめなりし由。これ贅沢《ぜいたく》に似て、反《かへ》つて徳用なりと或人云へり。その人又云ひしは、されどわれら若きものは、木米《もくべい》の好みの善きことも重々承知はしてゐれど、黒羽二重づくめになる前に、もつといろいろの事をして見たい気ありと。この言葉はそつくり小説を書く上にも当《あ》て嵌《はま》るやうなり。どう云ふ作品が難有《ありがた》きか、そんな事は朧《おぼろ》げながらわかつてゐれど、一図《いちづ》にその道へ突き進む前に、もつといろいろな行き方へも手を出したい気少からず。こは偸安《とうあん》と云ふよりも、若きを恃《たの》む心もちなるべし。この心もちに安住するは、余り善《よ》い事ではないかも知れず、云はば芸術上の蕩子《たうし》ならんか。(八月二十三日)
痴情
男女の痴情《ちじやう》を写尽《しやじん》せんとせば、どうしても房中《ばうちう》の事に及ばざるを得ず。されどこは役人の禁ずる所なり。故に小説家は最も迂遠な仄筆《そくひつ》を使つて、やつと十の八九を描《ゑが》く事となる。金瓶梅《きんぺいばい》が古今《ここん》無双の痴情小説たる所以《ゆゑん》は、一つにはこの点でも無遠慮に筆を揮《ふる》つた結果なるべし。あれ程でなくとも、もう少し役人がやかましくなければ、今より数等深みのある小説が生まれるならん。
金瓶梅《きんぺいばい》程の小説、西洋に果してありや否や。ピエル・ルイの Aphrodite なども、金瓶梅に比ぶれば、子供の玩具《おもちや》も同じ事なり、尤《もつと》も後者は序文にある通り、楽欲主義《げうよくしゆぎ》と云ふ看板もあれば、一概に比ぶるは不都合《ふつがふ》なるべし。(八月二十三日)
竹
後《うしろ》の山の竹藪を遠くから見ると、暗い杉や檜《ひのき》の前に、房々《ふさふさ》した緑が浮き上つて居る。まるで鳥の羽毛《うまう》のやうになり。頭の中で拵《こしら》へた幽篁《いうくわう》とか何《なん》とか云ふ気はしない。支那人は竹が風に吹かるるさまを、竹笑《ちくせう》と名づける由、風の吹いた日も見てゐたが、一向《いつかう》竹笑らしい心もち起らず。又霧の深い夕方出て見たら、皆ぼんやり黒く見える所、平凡な南画じみてつまらなかつた。それより竹藪の中にはひり、竹の皮のむけたのが、裏だけ日の具合《ぐあひ》で光るのを見ると、其処《そこ》らに蛞蝓《なめくぢ》が這《は》つてゐさうな、妙な無気味《ぶきみ》さを感ずるものなり。(八月二十五日青根温泉にて)
貴族
貴族或は貴族主義者が思ひ切つてうぬぼれられないのは、彼等も亦《また》われら同様、厠《かはや》に上《のぼ》る故なるべし。さもなければ何処《どこ》の国でも、先祖は神々のやうな顔をするかも知れず。徳川時代の大《だい》諸侯は、参覲交代《さんきんかうたい》の途次《とじ》旅宿《りよしゆく》へとまると、必《かならず》大恭《だいきよう》は砂づめの樽《たる》へ入れて、後《あと》へ残さぬやうに心がけた由。その話を聞かされたら、彼等もこの弱点には気づいてゐたと云ふ気がしたり。これをもつと上品に云へば、ニイチエが「何故《なぜ》人は神だと思はないかと云ふと、云々《うんぬん》」の警句と同じになつてしまふだらう。(八月二十六日)
井月
信州《しんしう》伊那《いな》の俳人に井月《せいげつ》と云ふ乞食《こじき》あり、拓落《たくらく》たる道情、良寛《りやうくわん》に劣らず。下島空谷《しもじまくうこく》氏が近来その句を蒐集してゐる。「朝顔に急がぬ膳や残り客《きやく》」「ひそひそと何|料
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