更《なほさら》おれは真平《まつぴら》御免《ごめん》だ。そんなものよりは小説家の方が、まだしも道に近いやうな気がする。「尋仙未向碧山行《せんをたづねていまだむかはずへきざんのかう》住在人間足道情《すんでじんかんにあるもだうじやうたる》」かな。何《なん》だか今夜は半可通《はんかつう》な独り語《ごと》ばかり書いてしまつた。(十月二十日)

     夢

 世間の小説に出て来る夢は、どうも夢らしい心もちがせぬ。大抵《たいてい》は作為《さくゐ》が見え透くのである。「罪と罰」の中の困馬《こんば》の夢でも、やはりこの意味ではまことらしくない。夢のやうな話なぞと云ふが、夢を夢らしく書きこなす事は、好《い》い加減な現実の描写《べうしや》よりも、反《かへ》つて周到な用意が入る。何故《なぜ》かと云ふと夢中の出来事は、時間も空間も因果の関係も、現実とは全然違つてゐる。しかもその違ひ方が、到底《たうてい》型には嵌《は》める事が出来ぬ。だから実際見た夢でも写さない限り、夢らしい夢を書く事は、殆《ほとんど》不可能と云ふ外はない。所が小説中夢を道具に使ふ場合は、その道具の目的を果す必要上、よくよく都合《つがふ》の好
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