れば、頗《すこぶる》西洋かぶれの気味あり。されどその嫌味なる所に、返つて紅葉の器量の大が窺《うかが》ひ知られるやうな心もちがする。
 それから又二十三日の記に、「此|夜《よ》(八)の八を草して黎明《れいめい》に至る。終《つひ》に脱稿せず。たうときものは寒夜《かんや》の炭。」とあり。何《なん》となく嬉しきくだりなり。(八)は金色夜叉《こんじきやしや》の(八)。(八月二十一日)

     隣室

「姉《ねえ》さん。これ何?」
「ゼンマイ。」
「ゼンマイ珈琲《コオヒイ》つてこれから拵《こしら》へるんでせう。」
「お前さん莫迦《ばか》ね。ちつと黙つていらつしやいよ。そんな事を云つちや、私《わたし》がきまり悪くなるぢやないの。あれは玄米《げんまい》珈琲よ。」
 姉は十四五歳。妹は十二歳の由。この姉妹《しまい》二人《ふたり》ともスケツチ・ブツクを持つて写生に行く。雨降りの日は互に相手の顔を写生するなり。父親は品《ひん》のある五十|恰好《がつかう》の人。この人も画《ゑ》の嗜《たしな》みありげに見ゆ。(八月二十二日青根温泉にて)

     若さ

 木米《もくべい》は何時《いつ》も黒羽二重《くろはぶたへ》づくめなりし由。これ贅沢《ぜいたく》に似て、反《かへ》つて徳用なりと或人云へり。その人又云ひしは、されどわれら若きものは、木米《もくべい》の好みの善きことも重々承知はしてゐれど、黒羽二重づくめになる前に、もつといろいろの事をして見たい気ありと。この言葉はそつくり小説を書く上にも当《あ》て嵌《はま》るやうなり。どう云ふ作品が難有《ありがた》きか、そんな事は朧《おぼろ》げながらわかつてゐれど、一図《いちづ》にその道へ突き進む前に、もつといろいろな行き方へも手を出したい気少からず。こは偸安《とうあん》と云ふよりも、若きを恃《たの》む心もちなるべし。この心もちに安住するは、余り善《よ》い事ではないかも知れず、云はば芸術上の蕩子《たうし》ならんか。(八月二十三日)

     痴情

 男女の痴情《ちじやう》を写尽《しやじん》せんとせば、どうしても房中《ばうちう》の事に及ばざるを得ず。されどこは役人の禁ずる所なり。故に小説家は最も迂遠な仄筆《そくひつ》を使つて、やつと十の八九を描《ゑが》く事となる。金瓶梅《きんぺいばい》が古今《ここん》無双の痴情小説たる所以《ゆゑん》は、一つにはこの点で
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