《い》い夢でも見ねば、実際見た夢を書く訣《わけ》に行《ゆ》かぬ。この故に小説に出て来る夢は、善《よ》く行つた所がドストエフスキイの困馬の夢を出難《でがた》いのである。しかし実際見た夢から、逆に小説を作り出す場合は、その夢が夢として書かれて居らぬ時でも、夢らしい心もちが現れる故、往々神秘的な作品が出来る。名高い自殺|倶楽部《クラブ》の話なぞも、ステイヴンソンがあの落想《らくさう》を得たのは、誰かが見た夢の話からだと云ふ。この故にさう云ふ小説を書かうと思つたら、時々の夢を記して置くが好《よ》い。自分なぞはそれも怠つてゐるが、ドオデエには確か夢の手記があつた。わが朝《てう》では志賀直哉《しがなほや》氏に、「イヅク川」と云ふ好小品がある。(十月二十五日)
日本画の写実
日本画家が写実にこだはつてゐるのは、どう考へても妙な気がする。それは写実に進んで行つても、或程度の成功を収められるかも知れぬ。が、いくら成功を収めたにしても、洋画程写実が出来る筈はない。光だの、空気だの、質量だのの感じが出したかつたら、何故《なぜ》さきにパレツトを執《と》らないのか。且又さう云ふ感じを出さうとするのは、印象派が外光の効果を出さうとしたのとは、余程《よほど》趣《おもむき》が違《ちが》つてゐる。仏人《ふつじん》は一歩先へ出たのだ。日本画家が写実にこだはるのは、一歩横へ出ようとするのだ。自分は速水御舟《はやみぎよしう》氏の舞妓《まひこ》の画《ゑ》なぞに対すると、如何《いか》にも日本画に気の毒な気がする。昔|芳幾《よしいく》が描《か》いた写真画と云ふ物は、あれと類を同じくしてゐたが、求める所が鄙俗《ひぞく》なだけ、反《かへ》つてあれ程|嫌味《いやみ》はない。甚《はなはだ》失礼な申し分ながら、どうも速水氏や何かの画を作る動機は、存外《ぞんぐわい》足もとの浮いた所が多さうに思はれてならぬのである。(十一月一日)
理解
一時は放蕩《はうたう》さへ働けば、一かど芸術がわかるやうに思ひ上《あが》つた連中がある。この頃は道義と宗教とを談ずれば、芭蕉《ばせを》もレオナルド・ダ・ヴインチも一呑《ひとの》みに呑みこみ顔をする連中がある。ヴインチは兎《と》も角《かく》も、芭蕉さへ一通り偉さがわかるやうになるのは、やはり相当の苦労を積まねばならぬ。ことによると末世《まつせ》の我々には、死身《
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