た。何だかその※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]が芭蕉や松にも、滲《し》み透《とほ》るやうな心もちがした。すると向うからこれも一人《ひとり》、まつすぐに歩いて来る女があつた。やがて側へ来たのを見たら、何処《どこ》かで見たやうな顔をしてゐた。すれ違つた後《あと》でも考へて見たが、どうしても思ひ出せなかつた。が、何《なん》だか風流な気がした。それから賑《にぎやか》な往来へ出ると、ぽつぽつ雨が降つて来た。その時急にさつきの女と、以前|遇《あ》つた所を思ひ出した。今度は急に下司《げす》な気がした。四五日後|折柴《せつさい》と話してゐると、底に穴を明けた瀬戸《せと》の火鉢へ、縁日物《えんにちもの》の木犀《もくせい》を植ゑて置いたら、花をつけたと云ふ話を聞かせられた。さうしたら又牛込で遇つた女の事を思ひ出した。が、下司《げす》な気は少しもなかつた。(十月十日)

     Butler の説

 サムエル・バトラアの説に云ふ。「モリエルが無智の老嫗《らうう》に自作の台本を読み聞かせたと云ふは、何も老嫗《らうう》の批評を正しとしたのではない。唯自ら朗読する間《あひだ》に、自ら台本の瑕疵《かし》を見出すが為である。かかる場合聴き手を勤むるものは、無智の老嫗に若《し》くものはあるまい」と。まことに一理ある説である。白居易《はくきよい》などが老嫗に自作の詩を読み聴《き》かせたと云ふのも、同じやうな心があつたのかも知れぬ。しかし自分がバトラアの説を面白しとするのは、啻《ただ》に一理あるが故のみではない。この説はバトラアのやうに創作の経験がある人でないと、道破されさうもない説だからである。成程《なるほど》世のつねの学者や批評家にも、モリエルの喜劇はわかるかも知れぬ。が、それだけでは立ちどころに、バトラアの説が吐《は》けるものではない。こんな消息《せうそく》に通じるには、おのれの中《うち》にモリエルその人を感じてゐなければ駄目《だめ》である。其処《そこ》が自分には難有《ありがた》い気がする。ロダンの手記なぞが尊いのも、かう云ふ所が多い故だ。二千里外に故人の面《おもて》を見ようと思つたら、どうしても自《みづか》ら苦まねばならぬ。(十月十九日)

     今夜

 今夜は心が平かである。机の前にあぐらをかきながら、湯に溶《と》かしたブロチンを啜《すす》つてゐれば、泰平《たいへい》の
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