はゐられない。そこで劉はとう/\思切つて、枕もとの蛮僧に、療治の中止を申込むつもりで、喘ぎながら、口を開いた。――
すると、その途端である。劉は、何とも知れない塊《かたまり》が、少しづゝ胸から喉へ這ひ上つて来るのを感じ出した。それが或は蚯蚓《みゝず》のやうに、蠕動《ぜんどう》してゐるかと思ふと、或は守宮《やもり》のやうに、少しづゝ居ざつてゐるやうでもある。兎《と》に角《かく》或柔い物が、柔いなりに、むづりむづりと、食道を上へせり上つて来るのである。さうしてとうとうしまひに、それが、喉仏《のどぼとけ》の下を、無理にすりぬけたと思ふと、今度はいきなり、鰌《どぜう》か何かのやうにぬるりと暗い所をぬけ出して、勢よく外へとんで出た。
と、その拍子に、例の素焼の瓶の方で、ぽちやりと、何か酒の中へ落ちるやうな音がした。
すると、蛮僧が、急に落ちつけてゐた尻を持ち上げて、劉の体にかゝつてゐる、細引を解きはじめた。もう、酒虫が出たから、安心しろと云ふのである。
「出ましたかな。」劉は、呻《うめ》くやうにかう云つて、ふらふらする頭を起しながら、物珍しさの余り、喉の渇いたのも忘れて、裸のまま、瓶の側へ這ひよつた。それと見ると、孫先生も、白羽扇で日をよけながら、急いで、二人の方へやつて来る。さて、三人揃つて瓶の中を覗きこむと、肉の色が朱泥《しゆでい》に似た、小さな山椒魚《さんしやううを》のやうなものが、酒の中を泳いでゐる。長さは、三寸ばかりであらう。口もあれば、眼もある。どうやら、泳ぎながら、酒を飲んでゐるらしい。劉はこれを見ると、急に胸が悪くなつた。……
四
蛮僧の治療の効は、覿面《てきめん》に現れた。劉大成は、その日から、ぱつたり酒が飲めなくなつたのである。今は、匂を嗅ぐのも、嫌だと云ふ。所が、不思議な事に、劉の健康が、それから、少しづつ、衰へて来た。今年で、酒虫を吐いてから、三年になるが、往年の丸丸と肥つてゐた俤《おもかげ》は、何処にもない。色光沢《いろつや》の悪い皮膚が、脂じみたまま、険しい顔の骨を包んで、霜に侵された双※[#「髟/丐」、第4水準2−93−21]《さうびん》が、纔《わづか》に、顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》の上に、残つてゐるばかり、一年の中に、何度、床につくか、わからない位ださうである。
しかし、それ以来、衰へたの
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