ちょっとした驚きと一しょに何か本能的な憎しみを閃《ひらめ》かせている表情です。けれどもこの奥さんはすぐにもの静かに返事をしました。
「ええ、M子もそんなことを申しておりました。」
 僕は僕の部屋へ帰って来ると、また縁先《えんさき》の手すりにつかまり、松林の上に盛り上ったY山の頂《いただき》を眺めました。山の頂は岩むらの上に薄い日の光をなすっています。僕はこう云う景色を見ながら、ふと僕等人間を憐みたい気もちを感じました。……
 M子さん親子はS君と一しょに二三日|前《まえ》に東京へ帰りました。K君は何でもこの温泉宿へ妹さんの来るのを待ち合せた上、(それは多分僕の帰るのよりも一週間ばかり遅れるでしょう。)帰り仕度《したく》をするとか云うことです。僕はK君と二人だけになった時に幾分か寛《くつろ》ぎを感じました。もっともK君を劬《いたわ》りたい気もちの反《かえ》ってK君にこたえることを惧《おそ》れているのに違いありません。が、とにかくK君と一しょに比較的|気楽《きらく》に暮らしています。現にゆうべも風呂《ふろ》にはいりながら、一時間もセザアル・フランクを論じていました。
 僕は今僕の部屋にこの
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