早速テエブルの上の朝鮮|団扇《うちは》をすすめながら、その向う側の椅子に、座をしめた。
――結構なおすまひでございます。
婦人は、稍《やや》、わざとらしく、室《へや》の中を見廻した。
――いや、広いばかりで、一向かまひません。
かう云ふ挨拶に慣れた先生は、折から小間使の持つて来た冷茶を、客の前に直させながら、直《すぐ》に話頭を相手の方へ転換した。
――西山君は如何《いかが》です。別段御容態に変りはありませんか。
――はい。
婦人は、つつましく両手を膝の上に重ねながら、ちよいと語《ことば》を切つて、それから、静にかう云つた。やはり、落着いた、滑《なめらか》な調子で云つたのである。
――実は、今日も伜《せがれ》の事で上つたのでございますが、あれもとうとう、いけませんでございました。在生中は、いろいろ先生に御厄介になりまして……
婦人が手にとらないのを遠慮だと解釈した先生は、この時丁度、紅茶茶碗を口へ持つて行かうとしてゐた。なまじひに、くどく、すすめるよりは、自分で啜《すす》つて見せる方がいいと思つたからである。所が、まだ茶碗が、柔《やはらか》な口髭にとどかない中に、婦人の
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