語《ことば》は、突然、先生の耳をおびやかした。茶を飲んだものだらうか、飲まないものだらうか。――かう云ふ思案が、青年の死とは、全く独立して、一瞬の間、先生の心を煩はした。が、何時《いつ》までも、持ち上げた茶碗を、片づけずに置く訳には行かない。そこで先生は思切つて、がぶりと半碗の茶を飲むと、心もち眉をひそめながら、むせるやうな声で、「そりやあ」と云つた。
 ――……病院に居りました間も、よくあれがお噂《うはさ》など致したものでございますから、お忙しからうとは存じましたが、お知らせかたがた、お礼を申上げようと思ひまして……
 ――いや、どうしまして。
 先生は、茶碗を下へ置いて、その代りに青い蝋《らふ》を引いた団扇をとりあげながら、憮然《ぶぜん》として、かう云つた。
 ――とうとう、いけませんでしたかなあ。丁度、これからと云ふ年だつたのですが……私は又、病院の方へも御無沙汰してゐたものですから、もう大抵、よくなられた事だとばかり、思つてゐました――すると、何時になりますかな、なくなられたのは。
 ――昨日が、丁度初七日でございます。
 ――やはり病院の方で……
 ――さやうでございます。

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