びる事が出来ました。その御恩を思いますと、あなた様の仰有《おっしゃ》る事に、いやと申せた義理ではございません。摩利《まり》の教とやらに御帰依なさるか、なさらないか、それは姫君の御意次第でございますが、久しぶりであなた様の御目にかかると申す事は、姫君も御嫌《おいや》ではございますまい。とにかく私の力の及ぶ限り、御対面だけはなされるように御取り計らい申しましょう。」
二十四
その密談の仔細を甥の口から私が詳しく聞きましたのは、それから三四日たったある朝の事でございます。日頃は人の多い御屋形の侍所《さむらいどころ》も、その時は私共二人だけで、眩《まば》ゆく朝日のさした植込みの梅の青葉の間からは、それでも涼しいそよ風が、そろそろ動こうとする秋の心もちを時々吹いて参りました。
私の甥はその話を終ってから、一段と声をひそめますと、
「一体あの摩利信乃法師《まりしのほうし》と云う男が、どうして姫君を知って居《お》るのだか、それは元より私にも不思議と申すほかはありませんが、とにかくあの沙門《しゃもん》が姫君の御意を得るような事でもあると、どうもこの御屋形の殿様の御身の上には、思いもよらない凶変でも起りそうな不吉な気がするのです。が、このような事は殿様に申上げても、あの通りの御気象ですから、決して御取り上げにはならないのに相違ありません。そこで、私は私の一存で、あの沙門を姫君の御目にかかれないようにしようと思うのですが、叔父さんの御考えはどういうものでしょう。」
「それはわしも、あの怪しげな天狗法師などに姫君の御顔を拝ませたく無い。が、御主《おぬし》もわしも、殿様の御用を欠かぬ限りは、西洞院《にしのとういん》の御屋形の警護ばかりして居《お》る訳にも行かぬ筈じゃ。されば御主はあの沙門を、姫君の御身のまわりに、近づけぬと云うたにした所で。――」
「さあ。そこです。姫君の思召しも私共には分りませんし、その上あすこには平太夫《へいだゆう》と云う老爺《おやじ》も居りますから、摩利信乃法師が西洞院の御屋形に立寄るのは、迂闊《うかつ》に邪魔も出来ません。が、四条河原の蓆張《むしろば》りの小屋ならば、毎晩きっとあの沙門が寝泊りする所ですから、随分こちらの思案次第で、二度とあの沙門が洛中《らくちゅう》へ出て来ないようにすることも出来そうなものだと思うのです。」
「と云うて、あの小屋で見張りをしてる訳にも行くまい。御主《おぬし》の申す事は、何やら謎めいた所があって、わしのような年寄りには、十分に解《げ》し兼ねるが、一体御主はあの摩利信乃法師をどうしようと云う心算《つもり》なのじゃ。」
私が不審《ふしん》そうにこう尋ねますと、私の甥はあたかも他聞を憚《はばか》るように、梅の青葉の影がさして居る部屋の前後へ目をくばりながら、私の耳へ口を附けて、
「どうすると云うて、ほかに仕方のある筈がありません。夜更けにでも、そっと四条河原へ忍んで行って、あの沙門の息の根を止めてしまうばかりです。」
これにはさすがの私もしばらくの間は呆れ果てて、二の句をつぐ事さえ忘れて居りましたが、甥は若い者らしい、一図に思いつめた調子で、
「何、高があの通りの乞食《こつじき》法師です。たとい加勢の二三人はあろうとも、仕止めるのに造作《ぞうさ》はありますまい。」
「が、それはどうもちと無法なようじゃ。成程あの摩利信乃法師は邪宗門《じゃしゅうもん》を拡めては歩いて居ようが、そのほかには何一つ罪らしい罪も犯して居らぬ。さればあの沙門を殺すのは、云わば無辜《むこ》を殺すとでも申そう。――」
「いや、理窟はどうでもつくものです。それよりももしあの沙門が、例の天上皇帝の力か何か藉《か》りて、殿様や姫君を呪《のろ》うような事があったとして御覧なさい。叔父さん始め私まで、こうして禄を頂いている甲斐がないじゃありませんか。」
私の甥は顔を火照《ほて》らせながら、どこまでもこう弁じつづけて、私などの申す事には、とんと耳を藉しそうな気色《けしき》さえもございません。――すると丁度そこへほかの侍たちが、扇の音をさせながら、二三人はいって参りましたので、とうとうこの話もその場限り、御流《おながれ》になってしまいました。
二十五
それからまた、三四日はすぎたように覚えて居ります。ある星月夜《ほしづくよ》の事でございましたが、私は甥《おい》と一しょに更闌《こうた》けてから四条河原へそっと忍んで参りました。その時でさえまだ私には、あの天狗法師を殺そうと云う心算《つもり》もなし、また殺す方がよいと云う気もあった訳ではございません。が、どうしても甥が初の目ろみを捨てないのと、甥を一人やる事がなぜか妙に気がかりだったのとで、とうとう私までが年甲斐もなく、河原蓬《かわらよもぎ》の露に濡れながら、摩利信乃法師《まりしのほうし》の住む小屋を目がけて、窺《うかが》いよることになったのでございます。
御承知の通りあの河原には、見苦しい非人《ひにん》小屋が、何軒となく立ち並んで居りますが、今はもうここに多い白癩《びゃくらい》の乞食《こつじき》たちも、私などが思いもつかない、怪しげな夢をむすびながら、ぐっすり睡入《ねい》って居《お》るのでございましょう。私と甥とが足音を偸《ぬす》み偸み、静にその小屋の前を通りぬけました時も、蓆壁《むしろかべ》の後《うしろ》にはただ、高鼾《たかいびき》の声が聞えるばかり、どこもかしこもひっそりと静まり返って、たった一所《ひとところ》焚き残してある芥火《あくたび》さえ、風もないのか夜空へ白く、まっすぐな煙《けぶり》をあげて居ります。殊にその煙の末が、所斑《ところはだら》な天の川と一つでいるのを眺めますと、どうやら数え切れない星屑が、洛中の天を傾けて、一尺ずつ一寸ずつ、辷る音まではっきりと聞きとれそうに思われました。
その中に私の甥は、兼ねて目星をつけて置いたのでございましょう、加茂川《かもがわ》の細い流れに臨んでいる、菰《こも》だれの小屋の一つを指さしますと、河原蓬の中に立ったまま、私の方をふり向きまして、「あれです。」と、一言《ひとこと》申しました。折からあの焚き捨てた芥火《あくたび》が、まだ焔の舌を吐いているそのかすかな光に透かして見ますと、小屋はどれよりも小さいくらいで、竹の柱も古蓆《ふるむしろ》の屋根も隣近所と変りはございませんが、それでもその屋根の上には、木の枝を組んだ十文字の標《しるし》が、夜目にもいかめしく立って居ります。
「あれか。」
私は覚束《おぼつか》ない声を出して、何と云う事もなくこう問い返しました。実際その時の私には、まだ摩利信乃法師を殺そうとも、殺すまいとも、はっきりした決断がつかずにいたのでございます。が、そう云う内にも私の甥が、今度はふり向くらしい容子《ようす》もなく、じっとその小屋を見守りながら、
「そうです。」と、素っ気なく答える声を聞きますと、愈太刀《いよいよたち》へ血をあやす時が来たと云う、何とも云いようのない心もちで、思わず総身がわななきました。すると甥は早くも身仕度を整えたものと見えて、太刀の目釘を叮嚀に潤《しめ》しますと、まるで私には目もくれず、そっと河原を踏み分けながら、餌食《えじき》を覗う蜘蛛《くも》のように、音もなく小屋の外へ忍びよりました。いや全く芥火の朧げな光のさした、蓆壁にぴったり体をよせて、内のけはいを窺っている私の甥の後姿は、何となく大きな蜘蛛のような気味の悪いものに見えたのでございます。
二十六
が、こう云う場合に立ち至ったからは、元よりこちらも手を束《つか》ねて、見て居《お》る訳には参りません。そこで水干《すいかん》の袖を後で結ぶと、甥の後《うしろ》から私も、小屋の外へ窺《うかが》いよって、蓆の隙から中の容子を、じっと覗きこみました。
するとまず、眼に映ったのは、あの旗竿に掲げて歩く女菩薩《にょぼさつ》の画像《えすがた》でございます。それが今は、向うの蓆壁にかけられて、形ははっきりと見えませんが、入口の菰《こも》を洩れる芥火《あくたび》の光をうけて、美しい金の光輪ばかりが、まるで月蝕《げっしょく》か何かのように、ほんのり燦《きら》めいて居りました。またその前に横になって居りますのは、昼の疲れに前後を忘れた摩利信乃法師《まりしのほうし》でございましょう。それからその寝姿を半蔽《なかばおお》っている、着物らしいものが見えましたが、これは芥火に反《そむ》いているので、噂に聞く天狗の翼だか、それとも天竺《てんじく》にあると云う火鼠《ひねずみ》の裘《けごろも》だかわかりません。――
この容子を見た私どもは、云わず語らず両方から沙門《しゃもん》の小屋を取囲んで、そっと太刀の鞘《さや》を払いました。が、私は初めからどうも妙な気おくれが致していたからでございましょう。その拍子に手もとが狂って、思わず鋭い鍔音《つばおと》を響かせてしまったのではございませんか。すると私が心の中で、はっと思う暇《いとま》さえなく、今まで息もしなかった菰だれの向うの摩利信乃法師が、たちまち身を起したらしいけはいを見せて、
「誰じゃ。」と、一声|咎《とが》めました。もうこうなっては、甥を始め、私までも騎虎《きこ》の勢いで、どうしてもあの沙門を、殺すよりほかはございません。そこでその声がするや否や、前と後と一斉に、ものも云わずに白刃《しらは》をかざして、いきなり小屋の中へつきこみました。その白刃の触れ合う音、竹の柱の折れる音、蓆壁の裂け飛ぶ音、――そう云う物音が凄じく、一度に致したと思いますと、矢庭に甥が、二足三足|後《うしろ》の方へ飛びすさって、「おのれ、逃がしてたまろうか。」と、太刀をまっこうにふりかざしながら、苦しそうな声でおめきました。その声に驚いて私も素早く跳《は》ねのきながら、まだ燃えている芥火の光にきっと向うを透かして見ますと、まあ、どうでございましょう。粉微塵になった小屋の前には、あの無気味な摩利信乃法師が、薄色の袿《うちぎ》を肩にかけて、まるで猿《ましら》のように身をかがめながら、例の十文字の護符《ごふ》を額にあてて、じっと私どもの振舞を窺っているのでございます。これを見た私は、元よりすぐにも一刀浴びせようとあせりましたが、どう云うものか、あの沙門《しゃもん》の身をかがめたまわりには、自然と闇が濃くなるようで、容易に飛びかかる隙《すき》がございません。あるいはその闇の中に、何やら目に見えぬものが渦巻くようで、太刀の狙《ねら》いが定まらなかったとも申しましょうか。これは甥も同じ思いだったものと見えて、時々|喘《あえ》ぐように叫びますが、白刃はいつまでもその頭《かしら》の上に目まぐるしくくるくると輪ばかり描《か》いて居りました。
二十七
その中に摩利信乃法師《まりしのほうし》は、徐《おもむろ》に身を起しますと、十文字の護符を左右にふり立てながら、嵐の叫ぶような凄い声で、
「やい。おのれらは勿体《もったい》なくも、天上皇帝の御威徳を蔑《ないがしろ》に致す心得か。この摩利信乃法師が一身は、おのれらの曇った眼には、ただ、墨染の法衣《ころも》のほかに蔽うものもないようじゃが、真《まこと》は諸天童子の数を尽して、百万の天軍が守って居《お》るぞよ。ならば手柄《てがら》にその白刃《しらは》をふりかざして、法師の後《うしろ》に従うた聖衆《しょうじゅ》の車馬剣戟と力を競うて見るがよいわ。」と、末は嘲笑《あざわら》うように罵りました。
元よりこう嚇《おど》されても、それに悸毛《おぞけ》を震う様な私どもではございません。甥と私とはこれを聞くと、まるで綱を放れた牛のように、両方からあの沙門を目蒐《めが》けて斬ってかかりました。いや、将《まさ》に斬ってかかろうとしたとでも申しましょうか。と申しますのは、私どもが太刀をふりかぶった刹那に、摩利信乃法師が十文字の護符を、一しきりまた頭《かしら》の上で、振りまわしたと思いますと、その護符の金色《こんじき》が、稲妻のように宙へ飛んで、たちまち私ど
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