色《けしき》はない。と思えば紅《くれない》の袴の裾に、何やら蠢《うごめ》いているものの姿が見えた。それが袴の裾ばかりか、よう見るに従って、肩にも居《お》れば、胸にも居る。中には黒髪の中にいて、えせ笑うらしいものもあった。――」
「と仰有っただけでは解《げ》せませんが、一体何が居ったのでございます。」
この時は平太夫も、思わず知らず沙門《しゃもん》の調子に釣り込まれてしまったのでございましょう。こう尋ねました声ざまには、もうさっきの気負った勢いも聞えなくなって居りました。が、摩利信乃法師は、やはりもの思わしげな口ぶりで、
「何が居ったと申す事は、予自身にもしかとはわからぬ。予はただ、水子《みずご》ほどの怪しげなものが、幾つとなく群って、姫君の身のまわりに蠢《うごめ》いているのを眺めただけじゃ。が、それを見ると共に、夢の中ながら予は悲しゅうなって、声を惜まず泣き叫んだ。姫君も予の泣くのを見て、頻《しきり》に涙を流される。それが久しい間続いたと思うたが、やがて、どこやらで鶏《とり》が啼いて、予の夢はそれぎり覚めてしもうた。」
摩利信乃法師がこう語り終りますと、今度は平太夫も口を噤《つぐ》
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