思う度に、阿鼻大城《あびたいじょう》の暗の底へ逆落しに落ちさせらるる、あえかな姫君の姿さえありありと眼に浮んで来るのじゃ。現に昨夜《ゆうべ》も。――」
 こう云いかけて、あの沙門はさも感慨に堪えないらしく、次第に力の籠って来た口をしばらくの間とざしました。

        二十三

「昨晩《ゆうべ》、何かあったのでございますか。」
 ほど経て平太夫《へいだゆう》が、心配そうに、こう相手の言《ことば》を促しますと、摩利信乃法師《まりしのほうし》はふと我に返ったように、また元の静な声で、一言《ひとこと》毎に間を置きながら、
「いや、何もあったと申すほどの仔細はない。が、予は昨夜《ゆうべ》もあの菰《こも》だれの中で、独りうとうとと眠って居《お》ると、柳の五つ衣《ぎぬ》を着た姫君の姿が、夢に予の枕もとへ歩みよられた。ただ、現《うつつ》と異ったは、日頃つややかな黒髪が、朦朧と煙《けぶ》った中に、黄金《こがね》の釵子《さいし》が怪しげな光を放って居っただけじゃ。予は絶えて久しい対面の嬉しさに、『ようこそ見えられた』と声をかけたが、姫君は悲しげな眼を伏せて、予の前に坐られたまま、答えさえせらるる気
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