いらっしゃると御聞きになったら、どんなにか御喜びになる事でございましょう。」と、ふだん私どもに向っては、返事をするのも面倒そうな、口の重い容子《ようす》とは打って変って、勢いよく、弁じ立てました。これにはあの摩利信乃法師も、返事のしようさえなさそうにしばらくはただ、頷《うなず》いてばかりいるようでございましたが、やがてその姫君と云う言《ことば》を機会《しお》に、
「さてその姫君についてじゃが、予は聊《いささ》か密々に御意《ぎょい》得たい仔細《しさい》がある。」と、云って、一段とまた声をひそめながら、
「何と平太夫、その方の力で夜分なりと、御目にかからせてはくれまいか。」
するとこの時橋の上では、急に扇の音が止んでしまいました。それと同時に私の甥は、危く欄干の方を見上げようと致しましたが、元より迂闊《うかつ》な振舞をしては、ここに潜んでいる事が見露《みあらわ》されないものでもございません。そこでやはり河原蓬《かわらよもぎ》の中を流れて行く水の面《おもて》を眺めたまま、息もつかずに上の容子へ気をくばって居りました。が、平太夫は今までの元気に引き換えて、容易に口を開きません。その間の長さと
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