この狭い洛中でさえ、桑海《そうかい》の変《へん》は度々《たびたび》あった。世間一切の法はその通り絶えず生滅遷流《せいめつせんりゅう》して、刹那も住《じゅう》すと申す事はない。されば無常経《むじょうきょう》にも『|未[#四]曾有[#三]一事不[#レ]被[#二]無常呑[#一]《いまだかつていちじのむじょうにのまれざるはあらず》』と説かせられた。恐らくはわれらが恋も、この掟ばかりは逃れられまい。ただいつ始まっていつ終るか、予が気がかりなのはそれだけじゃ。」と、冗談のように仰有《おっしゃ》いますと、御姫様はとんと拗《す》ねたように、大殿油《おおとのあぶら》の明るい光をわざと御避けになりながら、
「まあ、憎らしい事ばかり仰有《おっしゃ》います。ではもう始めから私《わたくし》を、御捨てになる御心算《おつもり》でございますか。」と、優しく若殿様を御睨《おにら》みなさいました。が、若殿様は益《ますます》御機嫌よく、御盃を御干しになって、
「いや、それよりも始めから、捨てられる心算《つもり》で居《お》ると申した方が、一層予の心もちにはふさわしいように思われる。」
「たんと御弄《おなぶ》り遊ばしまし。」

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